ないものはない。それを認めて自分を生きる
私は昔から「生産性がない時間」とか「自分で決めていないことを無理矢理やらされる時間」が死ぬほど嫌いで我慢できない性格なんですが、つい最近までそれをかなりコンプレックスだと思っていました。
我慢できないというのは
「あ、無理だ」
と思った瞬間に行動に移してしまうということ。
直近の例で言うと、先日旦那さんのご実家に親戚が集まった際、私だけ予定より早く、グリーン車で帰宅させていただいたことがありました。(車で行ったのに)
旦那さんは3人兄弟で、その日は各兄弟の家族や、旦那さんの両親など、10名以上の人数が集まりました。みなさんとっても良い人なんだけど、子供がいないのは私たち夫婦だけ。旦那もどこにいるか分からないし、そもそも私は子供がそこまで得意ではなく……。旦那さんの両親も、当然孫に目が行くわけで。
だから、どうしても私の存在が浮いてしまうというか、「今、私がここにいる意味なくね…?」という状態になってしまい。
だったら帰って仕事した方が生産性上がるなぁ………。そう思った瞬間、気付けば新幹線のチケットを予約していました。
そんな感じで、私は「我慢する」ということをできなかった人生だったと改めて思ったし、まあまあコンプレックスだとも感じていました。どんなに退屈な時間でも、そのときの空気感を楽しめる人って本当に羨ましいなあと。
人はないものねだりであると同時に、「自分にできることは相手もできる」と思いがちなんですよね。
だからこそ、人に対して「なんでそれができないの?」と感じてしまうし、それを言われた人は「自分はダメな人間なんだ」と自己否定してしまう。
そのため、先日 “どんな時間も楽しめる人” から前述した内容について不満を言われたわけです。「なんで同じ時間を楽しんでくれないの?」と。
自分でもそれができないことは分かっていたし、罪悪感を感じないわけでもないので、少し落ち込みました。というか、かなり落ち込みました。
でも、そんなことを言われても、無理なものは無理であり、それ以上理由がないんです。
例えば「なんで朝起きれなかったの?」と聞かれても、目覚ましはかけていたし、起きたいとは思っていたし、だけど「起きれなかった」。それ以上の理由も言葉もないじゃないですか。
それと同じで、「なんで我慢できないの?」と言われても、「気付いたらそうなっていた」としか言えないんです。
でも、できることとできないことって、誰にでもあるんですよ。自分では気付いていないだけで。
しかも、ある人にとっては到底理解できない思想かもしれないけど、ある人は「強み」と捉えるかもしれない。
私の「我慢できない」を、「決断が早い」と言い換えることもできる。自分に必要なものはよく分かるし、あまり苦労せずに居心地の良い空間を手に入れることができる。そして何よりも、人のせいにしたり、愚痴ったりすることはほとんどないし、「すべて自分で決めている」という確信を持ちながら生きることができている。
私は、これは悪いことではなく、存分に能力を発揮すれば人生がめちゃくちゃ謳歌するんじゃないかと思っています。
人によって大切にするものも違えば、思考回路も全然違うんだから。元々相手が持ってないものを求めたって意味ないし、自分にあるものを最大限使って生きたほうが上手くいくだろうし。
不満として伝えられた言葉は自分でも気にしていたし、気をつけていたつもりだったけど、やっぱり本能は隠せないし、取り繕っても意味がないんだと分かりました。そして、一部の人からどう思われても、自分を生きるしかないんだと吹っ切ることができました。良くも悪くも。笑
そして、自分自身も相手に「なんでこれができないの?」とキレたり不満を持ったりしないように気をつけようと思いました。笑
どうせ100年後には全員死んでるんだから、自分らしく生きようなぁ〜〜〜
はあ!今日もスッキリしました!
ありがとうございました〜👏✨
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