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考えかたを変えると、すごく楽になったよって話。


もちろん、
母から暴言暴力を受けていた当時には
客観的に考えることは無理な話で。

冷静になることも難しい。
母も感情的に怒りをぶつけてきていたから。
怒りには怒りでしか返らないのよ。。


そんな私でも、少しずつですが、
こう考えることにしたんです。

「尊敬はしてないけど、感謝はしてる。」


その言動からは尊敬はできないけど、
産んで育ててくれたことには感謝をしよう。


これが、スタートラインでした。


大人になり、
わたしも子どもを産んで母となり、
すごく感じたこと。 

「大人は完璧ではない」ということ。


わたしが学生のころは、
母から何かをされるたびに、

「大人のくせになんで?」

大人なのに何でそんな事すんの?と、
大人に対して、普通はこうでしょ?を
求めていた気がする。


でも、私も同じ立場になってみて、
分かった。


大人って全然完璧ではないし、
子どもの延長線上のまま、
ただ年だけを重ねて
大人、親になっただけで未熟ってこと。


母から言われたことがある。
「あんたも親になって、
お母さんの気持ちが分かったでしょ!」


いやいや、だからと言って、
暴言暴力はダメでしょ。。

でも今ではこう思う。

・感情のコントロールが苦手だったんだなー。
・完璧主義の母だから、きっと自分を満たせていなかったんだなー。
・「べき」「ねば」で苦しかったのかなー。

こう思うことで、だいぶ心が楽になった。

母方の祖母が亡くなったとき、

母はただただ遺影をじっと見てたのが
すごく印象に残ってる。
涙も流すことなく、じっと見てた。

そんな母の姿をわたしは黙って見てた。

母も母で、祖母とは色々あったのだろう。
もしかして、母も世代間連鎖で
同じように祖母から厳しく育てられて
ああいう風になったのではないか。

とかとか、

わたしの思い込みかもしれないけれど
わたしに都合のいいように思い込んでみたら

気持ちが軽くなった。

誰も悪くない。
一生懸命だったんだよ、きっと。

だからといって、
過去のことは許される事ではないけどね。

まぁ、謝られたことは全くないけども。


もちろん、今だからそう思える。
だから無理に思えないときは
思わなくていい。

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