大体の人生における思考のクセは大体母親との関係に回帰する

タイトル通りの話を明け方まで家人としていた。
私は心理学者でもなんでもないただの人なのであくまでも私の個人的な経験に基づく見解をここにつらつらと書き綴っていく。

私の母親は今でこそ断言できるが今はやりの毒親だ。マンガに出てくるみたいな強烈な毒親ではないが何が毒親なのかは子供にとってそれが毒なら毒なので、程度の問題はさておき毒親なのである。
それもジワジワ回ってくるタイプの毒。

前も書いたけどうちは父と離れて、母親の実家に出戻りし、そこに居候していた。だけど、そもそも母親の実家はわりと裕福な家だったのであまりお金には苦労せず、習い事もさせてもらえてまあ生活は普通だった。

私と母親との関係を綴っていくと、私の幼少期は、私の存在に対する母親からの否定の連続でできている。
傍目から見ると不自由なく習い事ができて、良い家庭に育ったと見られがちだが。


子供の頃、おとなしくあまり笑わない私は、周りの親戚からブサイクな子供だねと会うたびに言われ、母親はそれに同調しており、私は小さい頃から外見に自信がなかった。反対に妹は愛想のよい子供だったため、可愛がられていたが、比べるように私を見ては、この子は愛嬌がないから可愛くないんだよねえと母親に言われ続けていた。
その延長で大人しさに拍車がかかった私は小学校に入学するとクラスにうまく馴染めず、学校に行くのを時折嫌がっていたのだが、母親に、お前は性格が暗いから、せめて髪の毛をそめて見た目だけでも明るくしろと、髪の毛を茶髪にされた。当時はやったことのないヘアカラーをできてラッキーだなと思っていたが、今よく考えたらとんでもないことを言われたな、と思う。当時のクラス写真には、茶髪のおかっぱの私が写っている。
小学2年生から掛け算が始まると、毎日帰宅すると母親の監視付きで、地獄の算数ドリルが始まった。
2ページ、完全にやり終えるまで自由な時間はもらえない。毎日泣きながらドリルをやっていた。(ちなみに下の兄弟は経験していない)

もちろん褒められることもたくさんあったが、それは何々ができて偉い、テストでよい点を取れて偉い、という条件付きの評価。思えば私は幼少期、記憶があるうちには、あるがままの存在に対しての評価を受けたことがない。
そしてテストで98点を取って帰ると、とれた98点を褒めるのではなく、とれなかった2点について、なぜとれなかったのかを常に責められた。それでもやりたいことがたくさんあった子供だったので、夢を語れば、お前には無理 と否定の言葉を浴びせられた。子供ながらにこんな親にはなりたくないと思ったものだ。

そうこうしているうちに前の記事にも書いたけど家が崩壊してくるのだ。
そうなるとここからが地獄。母親は私に向かって、お父さんの悪口、愚痴を言い、なんだか私は存在の半分を否定されたような気持ちになる。
そして、家の中は殺伐とし、目に入るのはいつも泣いているお母さん、お父さんの実家で一人皿洗いをして大変そうなお母さん、お父さんの地元の集まりでひとりぼっちのお母さん、かわいそうなお母さん…

そうなるとまだ幼い私は母親の感情と自分の感情を分離できないので、母親を助けられない自分を責めに入る。 するとお母さんが悲しそうだと自分も悲しい、お母さんが嬉しいと、自分も嬉しい、というように、母親との癒着が起きる。ここで自分の感情が、母親の感情に左右されるようになるのだ。

重要なのは、幼少期〜思春期にかけて母親と自分を分離できていたのかどうかということなのではないか?と家人と話していて思った。家人の家も完璧に円満ではなかったが、家人は自我の確立の中で、結果だけを見て母親に否定される事はなく、また、ヒステリーを起こした母親を見て、自分と分離した状態で、それを見る事が出来ていたらしい。
あーあ、またやってるよ、と。
ヒステリーを起こした母親を、またかよ、と冷めた目で見ている事に対する、罪悪感はなかったらしい。私からすると特殊な人種なのである。
家人のことは追々書くかもしれないが、わりと自分軸で生きている人間なので出会った頃は理解不能な別の星の住人であった。

まあそういうわけで、母親の感情に自分の感情が左右されるようになった子供というのは、成長して社会に出た時に、他人の感情に自分の感情が左右されるようになる。要するに他人との境界線が薄いんだね。
そして母親に否定され続け、かわいそうな母親を守ろうとした子供だった私は母親を喜ばせようと必死になり、それが成長すると、他人の評価を得ようと必死に頑張る大人になるわけだ。 

子供にとって社会との関わりというのは、母親との関わりに等しいものだから、幼少期そこで癒着が起きてしまった人というのは大概他人軸で生きてしまう人になってしまうのではないだろうか。
母親に認められたい欲求が、社会に出て、上司や同僚やお客さんや友人やみんなみんなみんなに認められたい欲求となり必要以上に頑張る。頑張るんだけど幼少期に条件付きの評価(何々ができてえらい、とか)でしか褒められなかったもんだから、何か失敗したり、何か調子が悪くて自分の能力が出せなかったりすると、できなかった自分には価値がないんだと自分を否定する。
そしたら鬱になるよねー、って話。だって誰でも体調が悪くて結果が出せなかったり失敗したりするし、全ての人に認められるわけないんだから。

結局私は成長するにつれてピアノだとかその辺の能力を開花させ、成績もトップになり、周りに褒められた事がきっかけで外見にも自信を持ち始めだんだんスペックが上がっていったのだが、そこで母親の評価が幼少期と一変した。
否定し続けた娘が自慢の娘へと変わったのだ。
まあ、小さい頃から否定され続けて育っていたので、大きくなって能力値が上がって急に自慢の娘になったところで、自分を否定する思考のクセが変わるわけはないので結果鬱になりましたね。


だからお母さんとの関係がこじれていた人とかは大人になったら、もう自分の機嫌は自分で取らないといけないよって話。お母さんと自分を分離して考えていかないと一生毒が回り続けてHPが削られていく。むかしDV男と付き合っていたけど大体のパターンってこういう感じなんじゃないの? お酒を飲みながらこういう話を明け方まで話していて、自分の中で少し腑に落ちました。

#考えていること #日常  #家族  #母親

 


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