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鎌倉投信の誕生 - 悩み・苦しみの中からたどり着いた答え -

来月11月5日は、鎌倉投信の設立記念日です。

2008年11月5日に鎌倉投信を設立してから間もなく丸15年になります。
当たり前ですが、設立当時、鎌倉投信は、知名度もなく、実績も全くない運用会社でした。それにもかかわらず、本当に多くの皆様のご支援のおかげで、15年間、緩やかながら着実に成長してきました。本当にありがとうございます。

鎌倉投信の設立は、リーマンショックの直後で世界の金融・経済が大混乱する真っ只中でした。そうした厳しい状況の中で、鎌倉投信は、
一、「投資はまごころであり 金融はまごころの循環である」という投資哲学を掲げ
二、独自の視点で事業性と社会性を兼ね備えた「いい会社」に厳選して投資をし
三、「いい会社」が「いい会社」である限り保有し続けるという投資方針の下で
四、「投資家の経済的な豊かさと社会の持続的発展の両立」の実現
を目指してきました。今もその投資姿勢に寸分のぶれもありません。

当時は、SDGsやESG投資という言葉もなく、むしろ、株主資本主義の色合いがとても濃い時代でしたので、「そんなきれいごとで運用成果を出せる訳がない」などと批判を受けたものです。

それから15年が経ち、投資家からも一定の支持をいただく中で、企業においても、金融においても、市民生活においても、社会をよくするという視点が不可欠になり、世の中の流れは、じわりと変わってきたと感じています。

こうして会社設立から15年が経ちましたが、鎌倉投信のことを知らないという人もまだまだ多いと思います。また、この4~5年はコロナ過で鎌倉投信について話しをする機会がすっかり減ってしまいましたので、この機会に、鎌倉投信がどのような運用会社か、について改めて書いてみたいと思います。


私の自己紹介

まずは、少し長くなりますが、私の自己紹介から始めさせてください。

私は、島根県大田市という自然に恵まれた田舎町で生まれ育ちました。両親は、小さな食料品店と農業を営んでいました。今後のnoteで話すこともあると思いますが、こうした環境で過ごした幼少期は、今の自分に大きな影響を与えていると感じます。高校卒業後は東京の大学に進学し、日系の信託銀行に就職しました。そこで、たまたま証券部門に配属されてから35年にわたり、投資や資産運用に関わる仕事だけをやってきました。もし、入社の時の辞令で、支店や他の部門に配属されていたら、私は今と全く異なる人生を歩んだことでしょう。当然、鎌倉投信も存在しませんし、皆様との出逢いもありませんので、人生は本当に不思議な縁でつながっていると感じます。

資産運用の仕事に全力を傾ける今の私の姿を見る人からは、何か強い想いがあって金融の世界に身を投じたのですか、とよく質問されます。恥ずかしいことに、若い頃は全く志といえるような強い想いを持っていたわけではありません。むしろ極めて不純な動機で信託銀行に就職したのです。

就職活動を始めた時、大学の部活の先輩から、「信託銀行は、都市銀行(今でいうメガバンク )や証券会社に比べると仕事が楽な割に、給料は悪くないぞ」という甘い言葉を掛けられ、その言葉に乗っただけだったのです。確かに、当時はバブル絶頂期で、金融業界は就職先として大人気の業種でした。その中でも信託銀行は、不動産や年金、信託業務など普通の銀行では経験できない仕事もできそうでしたので魅力的に映ったのも事実です。

しかし、入社してすぐに「何か違うなぁ」と、違和感を覚えました。当時の金融業界全体にいえることでしたが、社内で、自社は金融を通じていかに社会に貢献するか、何のために存在するか、といった経営理念が語られることはなく、いかに儲けるか、いかに同業他社の上をいくか、という風潮が非常に強かったのです。金融に関わる人のそうした意識が不動産や株式のバブルを助長したことはいうまでもありません。

そのような雰囲気の中で、金融業界は本当に世の中のためになっているのだろうか、という疑問を感じながら仕事をしていたことを覚えています。しかし、入社して間もない若造に何ができるわけではありません。当時は、最初に勤めた会社で一生仕事を続けることが当たり前の時代でしたので、縁があって採用してもらった会社やお客様に少しでも貢献しようと、自分なりに一所懸命に仕事をしました。幸い、証券事務の仕事をした後、年金の運用という比較的新しい分野で、かつ専門性が求められる業務に携わることができたのは私にとって幸運でした。

このようにして始まった私の運用者としてのキャリアは、まずは債券の先物取引で日々利ザヤを稼ぐことでした。その後、債券や株式のインデックス運用やアクティブ運用、数理的手法を用いた様々な運用、商品企画の業務などに携わりました。インデックス運用とは、運用者の恣意性をいれずに日経平均株価などの市場指数に連動させることを目指したシンプルな運用手法です。一方、アクティブ運用は、運用者が独自の判断に基づいて投資先を選定する運用手法で、スキルと経験が求められますが、その難しさを実感できたことも貴重な体験でした。今でこそ運用手法として広く利用されるようになったインデックス運用は、私がその運用をおこなっていた30年前は、ほとんど認知されていなかったので、それを日本に広める先駆的な役割を担ったといえるかもしれません。

当時、諸先輩の指導を受けながら、運用成果にバラツキのあるアクティブ運用をインデックス運用に集約したり、大手の企業年金にはインデックス運用に比重をおき、特徴のあるアクティブ運用を、地球を回る衛星のように分散させる「インデックス・コア+アクティブ・サテライト戦略」を提案したりしたことは懐かしい思い出です。


こうして日系の信託銀行で11年間資産運用の仕事に携わった後、運用の専門性を磨きたいという想いもあって外資系の運用会社に転職しました。そこでは、世界最先端の金融工学を駆使した運用手法に触れながら、運用会社が果たすべき受託者責任の根本精神などを学ぶことができました。

結果的に、日系・外資系合わせて20年もの間、大手の金融機関でひたすら資産運用の仕事に取り組んできました。とりわけ外資系の運用会社は、とてもしっかりした投資哲学を持ち、優秀な人財にも恵まれた職場でしたので、貴重な9年間でした。その経験なくして今の鎌倉投信は絶対になかったでしょう。しかし、そのような運用会社でも、収益に対する株主からの要求が年々強まる中で、自分が思い描く運用会社の在り方とのずれを感じるようになりました。そして、2008年1月、ある大きなプロジェクトの終了を見届けて会社を離れました。


鎌倉投信の誕生につながる導き

前職を離れる時、鎌倉投信のような運用会社を立ち上げようと思っていたわけではありません。辞めた後のことは、何も考えていませんでした。というよりも、先のことを考えることができないくらい集中して取り組んだ、大きなプロジェクトだったのです。

実のところ、辞めた直後は、前々から興味があったNPOやNGOのような草の根の社会貢献分野で仕事ができたら、とも考えていたのですが、当時42歳で、全く土地勘のない仕事を始めるのは難しいと感じ断念しました。その代わりに、すでに頑張っている人、頑張っている組織、頑張っている会社があるのであれば、今まで経験してきた資産運用を通じて応援することができないだろうかと考えました。そこで、かつての同僚に声をかけて、「本当に社会から必要とされる資産運用を一緒につくれないだろうか」と、半年かけて議論をした結果、今の鎌倉投信につながる事業構想にたどりついたのです。

それが、「3つの『わ(和・話・輪)』を育む『場』としての運用会社でありたい」という会社の志、事業性と社会性を兼ね備えた「いい会社」に厳選して投資をし、「いい会社」が「いい会社」であり続ける限り売却を前提とせずに保有し続ける、という投資方針、お客様との直接対話を大切にしながら信頼関係を丁寧に築く姿勢、運用会社としては珍しい鎌倉の土地で、築100年の日本家屋に本社を構えることなどでした。それからあっという間の15年です。


このように、私は、社会人になってから今に至るまで、投資、資産運用に関わる仕事しかしていません。振り返れば、35年もの間、ひたすら運用商品に向き合い、信頼してお金を預けてくれる投資家に向き合い、投資先の様々な企業と向き合ってきました。お客様は、一度に数千億円のお金を動かす年金基金などのプロといわれる投資家から、小額からコツコツと資産形成に取り組む個人投資家まで幅広く、数えきれないほどの投資家の声を聴いてきました。気づけば現役で投資の最前線に立つ者としては、最も長い経験を持つ一人になってきました。

こうして金融業界に身を置きながら、金融を通じて自分がなすべきことは何か、自分の人生における役割・使命は何だろう、と20年間悩み続けてきましたが、その悩み、苦しみの中からたどり着いた答えが、今まさに鎌倉投信で実践している「人と未来社会を豊かにする投資」です。サラリーマン時代の20年間の苦悩は、今にして思えば、この時のために必要な時間だったのだと感じます。2008年11月5日、こうした導きの中から鎌倉投信は誕生したのでした。


今回もnoteにお付き合いいただきありがとうございました!
次回は、鎌倉投信の志(経営理念)について書こうと思います。


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