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「傷の舐め合い上等だぜ」と朝ドラを見て思った
虎に翼
わたしは今「虎に翼」にハマっている。
朝ドラは途中で挫折してしまいがちだが、毎日欠かさず見てしまうほどハマっている。
ハマっている理由は「登場人物の中に自分が見つかるから」「スッキリするから」
とくに「登場人物の中に自分が見つかる」という点は大きい。多様な立場の登場人物がいるため、自分と重なる人が見つかる。
つまり、登場人物たちが抱える問題と、自分の抱える問題を照らし合わせている。
そして、登場人物たちが問題をよりよい方向へ持っていくことができたとき、わたし自身が救われたような気持ちになる。それは「スッキリ」につながる。
第三週も主人公である寅子の言葉に「スッキリ」した。「同志だ!」と自分を重ねた。
猪爪寅子「みんな辛いなら、わたしはむしろ弱音、吐くべきだと思う。」
山田よね「弱音なんか吐いたところで何も解決しないだろう。」
猪爪寅子「うん、しない。でも受け入れることはできるでしょ?わたし、みなさんをとりまく問題に何もできない。でもせめて、弱音を吐く自分を、その人を、そのまま受け入れることができる弁護士に、居場所になりたいの。」
弱音を吐く自分を、その人を、そのまま受け入れるわたしになりたい。居場所になりたい。
たとえ弱音を吐く相手がいなかったとしても、noteがわたしにとっての「弱音を吐いて、受けいれてくれる場」になっている。
そして、わたしのnoteが誰かの弱音を受け入れる居場所であればいいなと思っている。
この点で、寅子とわたしは同志だ。
傷の舐め合いは、弱音を吐き、互いを受けいれ合うことだ
わたしはnoteを書くとき、どんな人に届けたいのかを考えて書く。今のところ「わたしみたいな人いない?傷の舐め合いしようよ〜!」の気持ちで書くnoteが多い。
つまりわたしみたいな人(夢でっかち無職)へ向けて共感できるお話を書いている。(つもり…)
傷の舐め合いは、あまりいい意味ではない。しかし、傷の舐め合いはいいことだと、第三週の「虎に翼」で感じた。
わたしも寅子たちのように、弱音を吐き、お互いを受けいれたい。辛さは消えないけど、少しは辛さがマシになったり、辛さを乗り越える力になったりするから。
わたしは「傷の舐め合い上等だぜ!」の気持ちでnoteを書き続ける。
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