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薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇ではない。

皆さんはワークショップなど行かれますか?
私は今年1月に金文印のワークショップに行ったことを1、2月のニューズレターにお知らせしましたね。金文時代B.C.770年~B.C.222年にさかのぼる漢字の進化を教えていただきました。
その時に作った金文印は1、2月の手描きスカーフにきちんと押しました。元々金文印の形はデザイン性が高いので、スカーフの裾に押印されるととても存在感があります。貴重な体験でした。ご紹介していただいた、仕覆を専門になさる三浦さんに感謝いたします。

今夏は地元でもあるメリーランド州イーストンのアカデミーアート美術館で開催されている展覧会、写真家Laura Letinskyのワークショップに参加してみました。https://academyartmuseum.org/

レティンスキーさんの作品は様々なオブジェが超自然的に描かれています。其々のなかにある異常さや混沌と形を光と空間を緻密に計算しながら色、ボリューム、表面の質感を見事に表現しています。不安定なバランスもとても好きです。

しわとしみのある白いテーブルクロスの上にはミカンの食べ残し、そのテーブルのぎりぎりの角に飲み残しのグラスが置いてあります。食事が終わった後のような食卓。食べ残した皿が重ねられていて、今からテーブルから落ちそうなシルバーナイフが、倒れそうな積み重なった皿が、そしてゴミがアンバランスに置かれています。
https://lauraletinsky.com/

彼女はこう言いました。
1/「写真とは瞬間を切り取ることではありません。
写真とは、自分の表現したいものをラミネートすること、情報を形にすること、見たいように作ること。見るために見るのではありません。

2/ 美しいものはすでに美しいと認識されていることで、存在しているから美しいと思えるのです。創作は今、認識されていない、見えていないものを作り出すことです。
3/ 朽ち果てていくもの、捨てられていくものはメメントモリ(ラテン語でメメント=想う、モリ=死)つまり一瞬先は闇。終局性は私たち全てにとっての日常なのを忘れずにいましょう。

4/ レティンスキーさんはまた、有名な小説家、詩人、美術品コレクターであるガートルード・スタイン(1874-1946)の詩を紹介しました。
" 薔薇は薔薇、薔薇は薔薇 "はスタインの詩 "聖なるエミリー "の有名な一節です。
同じ言葉を繰り返すことで、単数形のバラの意味が変わる。薔薇であったはずの記憶は、薔薇、薔薇、薔薇となり、うっとりするような香りと美しさは、美しく咲き誇る花の美しさに心を奪われるかもしれない。美は薔薇でなくとも美を見出す、つまり薔薇自身ではなくなり薔薇らしさ(ローズネス)になるのです。

レティンスキーさんの写真を撮る意味は、薔薇性のように、記憶がそれを継承し、アイデンティティを失いながらも、それを取り戻す行為をすることにあるのです。私はレティンスキーさんのローズネスの視点に共感を覚えました。そして言葉を繰り返して自分に投影してみました。

私も今月からワークショップを行います。かつて、私自身も90年代にテキスタイルに関する技術的な指導を行っていました。20年ほど遠ざかっておりましたが、また絹のことを伝えたいです。この20年、絹の生産がどんどん減っています。絹が絹でなくなってし
まわないように、絹のことを皆さんに理解してもらいたいと思います。
絹は絹は絹は、絹です。
次のニューズレターは絹のことをお話してみたいと思います。

一緒に勉強しましょう。

ではお身体に気をつけてお過ごしください。

8/17/2023

岡野 優より

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