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新幹線の待合室で、お金と価値に思いを馳せる


新幹線の発車時刻まで30分の待ち時間があり、改札内の待合室にある低いソファに座る。一息ついて休憩するにはちょうどいい時間。文庫本を開いて、文字を目で追い始める。

左隣からマクドナルドの匂いが近づいてくる。視線だけを向けると、黄色いMマークの入った紙袋を持ったスーツ姿の中年男性が着席した。袋を開けて手を入れ、口に運び、また手を入れ……の動きで、フライドポテトを食べているのが分かる。

待合室内のスターバックスコーヒーでは、途切れることなく商品が手渡されていく。注文の商品を読み上げる店員、自分のレシートを一度見てから商品を受け取り去っていく客。その繰り返し。

キャリーケースを引きながら談笑する女性ふたりの手には、限定のフラペチーノが握られている。右隣に座った女性も、同じフラペチーノを片手にスマートフォンを眺めている。スタバの限定商品って1つ700円するんだよな……とか考える。

本を読む集中力はすっかり途絶えたので、本をリュックにしまって視線を上げる。正面にはギフトキオスクがあり、小倉トースト関連のお菓子や手羽先味のスナック、ひつまぶしのパックやきしめんが整列している。
訪日観光客らしき一行が、お土産を抱えて会計を待っていた。


旅先では、とにかく財布の紐が緩む。
アトラクション満載のテーマパーク、荘厳な景色の観光名所、その場所でしか食べられないグルメ、そして地域限定のおみやげも。「今だけ」「ここだけ」「限定」といった財布を開かせるための売り文句は、観光地では一層特別に映る。
かくいう自分も例外ではなく、数年ぶりに会う予定の友人に渡したいなと思い、個包装のお菓子をいくつか買った。

何に価値を置き、お金を使うかの判断基準は人それぞれだ。それを一般的に「金銭感覚」と呼ぶが、どんな目的で何にお金を出すか(あるいは出さないか)は本当に人それぞれで、観察していて興味が尽きない。

バイト先のクラフトビアバーに来られる常連の方が、毎週数万円の支払をしていく様子。限定のフラペチーノを必ず飲む高校生。ブランド品。毎シーズン購入する新しい洋服。長期休暇のたびに海外に旅行する家族。ディスカウントストアで大量に購入した特売の商品。
コーヒー、ビール、ワイン、たばこ、スイーツといった嗜好品たち。

私は、ブランド品や毎シーズンの新しい洋服にはいっさい興味がない。一方で、同じ音楽アーティストを地方にまで何回も観に行く私の支出も、他人から見れば理解に苦しむだろう。お互いさまだ。


お金(とくに可処分所得と呼ばれる類のお金)の使い方には価値観が表れる。意識している、していないにかかわらず、何を大切にしているかが表出する。その価値観は、決して他人が判断できるものではない。

おみやげひとつ取り上げても考え方は違うだろう。
私の場合は、旅行明けに職場で配るおみやげは買わない。仕事を調整して休みを取ったのだから、申し訳ないと罪悪感を抱えておみやげを配らないと決めている。
でも、久しぶりに会う友人たちには喜んでほしいから、プレゼントとしておみやげを買う。職場や家族へのおみやげも、食べてほしいものがあるなら買ってもいい。

観光やグルメ、旅行ではないがスタバのフラペチーノも同じ話だ。どんな「限定」の売り文句も、お金を払いたければ払うし、そうでなければやめる。惑わされない…とまでは言えないが、希少性に目がくらんでいないか?とはいつも自問する。

お金を使うこと自体は避けられないので、せめて「私はなぜお金を使ったか」「私は何が欲しかったのか」には意識的でありたい。


そんなことを考えているうちに、新幹線の発車時刻が近づいていた。席を立ってホームに向かう。
次に名古屋に来るときは夜行バスにしてみようかな、と思いつく。これも「何にお金を出すか」の判断だと気づいて、思わず笑ってしまった。



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