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特急列車から眺めた「誰かの日常」は


帯広から札幌に向かう特急列車の車窓から、ひとり外を眺める。

関東ではあまり見かけない、白い樹皮の針葉樹がまっすぐに立ち並ぶ。雪の季節にはまだ早く、山間のくすんだ緑と、大岩が無造作に転がる河川が、視界の後方に流れ去っていく。
と思えば、列車が急ブレーキで停止した。鹿と衝突したらしい。

見たことも聞いたこともないチェーン店。地方特有の異様に大きなイオン。ユニクロやマクドナルドも建物内のいちテナントではなく、都内ならビルがひとつ建ちそうな大きな敷地に店舗を構え、同じくらいの規模の駐車場が隣接している。車の出入りを眺める束の間、特急列車は駐車場を追い越していく。

突然現れるエスコンフィールドの大きさに驚き、思わず二度見する。経済番組の特集では、エスコンフィールドの事業を「街づくり」と表現していた。その通りの規模だと納得する。

一軒家の玄関扉はどこも二重だ。二重扉ではないように見えるマンションでも、玄関の下には必ず屋根がついている。雪深い地域だからこその家造りをそこかしこに認め、真冬の暮らしを想像する。

そういえば、急な斜面にまっすぐ伸びる2本のワイヤーと、ふもとに建つ2階建ての大きな建物を見かけた。通りすぎてしばらくしてから、それが雪のない状態のスキー場だったと気づいた。


車窓の景色は自然や風景が多いが、ときどき人がいる。

ゆったりとした足取りで、舗装されていない砂利道を歩くおじいさん。木立の中にある、よく分からない開けた場所を掃き掃除しているおじいさん。
ジャージにも似た上下ラフな格好でどこかに向かう若者。小ぶりな自転車に乗る、桃色のリュックを背負った小学校低学年くらいの子ども。
ベージュと紺色のウインドブレーカーを着て、歩きながら談笑する男女。つばの広い帽子を被って、農作業に取り組むおばあさん。

車窓から人を見かけるたびに、彼らの生活に思いを馳せる。

どんな暮らしをしているのだろう。どんな仕事や家事を担い、日々を暮らし、人間関係の悩みや喜びを抱え、何に心を動かしているのだろう。私が車窓から見たあの人だったなら、日常のどんな風景が目に映るのだろう。

普段の生活のなかでは、同じように、道ゆく一人ひとりに思いを馳せるのは意外と難しい。


終点の札幌駅で降りる。車窓から見ていた景色とは一転、人の多さに目を見張る。都心ほどではないにせよ、駅前は地元の利用者と観光客の両方でごった返している。
3連休の2日目、天気はからっとした晴れ模様で行楽日和だ。ターミナル駅が混雑するのも当然だろう。

札幌駅近くのスターバックスコーヒーでの作業中に、ふと思い立って、店内を眺めてみる。

制服を着た高校生らしいふたりの女子は、絶えず会話を続けている。彼女たちの視線は、話し相手の顔と、手に持ったままのスマートフォンを行ったり来たりしている。
背の高い外国人観光客のバックパックが他の人にぶつかり、ぶつかられた人がむっとした表情に変わる。
大きな天板のテーブルの端で作業をするスーツにネクタイ姿の男性。注文カウンターでやりとりする会話に混ざり、鐘を二度打つようなモバイルオーダーの通知音が不定期に鳴り響く。

車窓から見た人たちほどの感慨はなく、想像もしづらかった。



ふだんの生活、いつも移動に使う各駅停車の電車、あるいは多くの人が行き交うターミナル駅で、特急列車と同じような郷愁に自然と至ることはない。
日常ですれ違う人たちは、その生活を想像するにはやや距離が近い。どんな持ち物を身に着けているか、何の話をしているか、その表情が分かる。

最寄り駅で見かけた人とは今後関わるかもしれないが、車窓から見えた人たちとは、この先どう転んでも関わる機会はないだろう。万が一あったとしても、「あのとき車窓から見てました!」や「あのとき車窓からこっちを見てましたよね?」とはならない。
適度な遠さで一人ひとりを眺められることが、郷愁と想像力を生む。
(あと、単に近い距離の人をジロジロ眺め続けるのは気まずいというのもある)

また、長時間の移動中は「やることがない」時間が多い。もともとスマホでは動画を見ないし、PCに向かって作業を続けると酔ってしまう。長時間の読書も同じ理由で難しい。
だから、車窓から外の景色を眺める。そして人を見つけ、彼ら、彼女らがどんな暮らしをしているかを考える。

距離も遠く、時間にも余白があるから、見知らぬ人に思いを馳せることができる。暇つぶしと言えばそれまでだが、シンプルな話だ。


陸路での移動が好きだ。飛行機が苦手であまり乗りたくないのも理由のひとつだが、陸路だと、車窓から人々の暮らす風景を眺められる。
人々が生活する風景を窓越しに眺めるとき、今いる旅行先と、ふだん暮らしている場所が文字通り「地続き」になっているのだと実感する。

特急列車から眺めた「誰かの日常」は、私自身の日常とつながっている。

自分が旅行で訪れた場所にも、自分と同じように毎日を暮らし、淡々と生活を送る人たちが確かにいる。
その実感は、旅行と日常の両方に奥行きを与える、ささやかな発見でありギフトだと思う。


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