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誰かの人生は歩めないから、しんどさも嫉妬も糧にして進むだけ


苦しかった学生時代を思い出して、ふいに懐かしくなった話。

高専に通っていた頃、学校に行くのが本当に嫌だった。気持ち的には半ば不登校だった。各科目の出席日数が2/3を下回ると留年になるため、あと何日休めるかを計算して、ぎりぎりの日数だけ通っていた。

当時好きだったロックバンドの解散ライブを東京で観て、同行した友達とそのまま明け方近くまで酒を飲んだ後、授業での発表があるからと朝7時の飛行機で地元に帰った。本当は発表のほうを投げ出したかった。

文字通り「日付を数える」ほどに卒業が待ち遠しかった。当時使っていたほぼ日手帳の月間カレンダーには、卒業までの登校日数をカウントダウンで書いていた。卒業式は一切泣かず、むしろ清々しさのほうが勝っていた。

しんどかったことは今でも鮮明に覚えているのに、それはそれとして、穏やかな気持ちもある。気づけば、ずいぶんと遠くまで来た。


在学中の唯一の友人と、最近また連絡を取り合うようになった。

「自分のことは、最終的には自分でどうにかしていくしかないよね」と何度も話す。彼女も相当な波乱の人生を歩んできたはずだが、しなやかで、タフで、したたかだ。

彼女のまっすぐさとある種の開き直りを、「うらやましい」と嫉妬に似た感情で眺めることもあった。でも、彼女のそのあり方は、彼女自身が七転八倒しながら進んできた結果だ。


自分がどうありたいかを、嫉妬なしでやっと眺められるようになった。他人を見てうらやましさどころか恨めしさを勝手に覚え、嫉妬の炎で自分のメンタルをずたずたに傷つけることも減った。

どう嫉妬していたかと言うと、自由にやれてうらやましい、やりたいことがあって楽しそうでずるい、とか。それらは今思えば、自分も(そんな風に)いきいきと動き回りたいからこその感情だったと分かる。

すぐ近くにいる知人、インターネット上を含めた遠くに見えている知らない誰か、フィクションの他人でさえも火種になっていたのだから大したものだ。

嫉妬も含めて感情が揺れ動くとき、その下には価値観や思い込みが潜んでいる。書くことで価値観や思い込みの一端を掘り起こし、眺める作業をいつも繰り返している。もちろん、この文章もその一環である。


私は誰かと同じ心を持てないし、持つ必要もない。あり方は違っていていいし、同じやり方をする必要はない。自分は自分なりに、すべてを燃料にして歩き続けるだけだ。ネガティブな経験も、目を背けたい感情も、ひとつひとつを力に変えていく。

「誰かの人生は歩めない」という諦めが、やっと腑に落ちてきた。

生活や人生に見本はない。そりゃあ大変で、楽しいに決まっている。



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