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【評価がもらえない?】結局は自分の人生から学ばないとおもしろい小説って書けない

小説を書くのって楽しいけど、難しいですよね。
だって、なにを書いたら読者が増えるのかわからない。
好きなことを書けばいいというけれど、そんなんだったらとっくに人気になってるはず。
などなど……悩みはつきないわけで。


私もそうでした。
今でこそ小説執筆のご依頼を受注できるほどにはなりましたが、以前はもうひどいものでした。
なにを書いても評価されない。
というか、見てもらえない。
自分の実力が不足しているのかどうかも判断材料が足りないからわからない。
まさに負のスパイラルに陥っていました。


でも、あるとき気づいたんです。
小説を書くために必要なこと。
これがなきゃ、見てもらえたとしても人の心に残るものは書けないって。




小説は自分の人生から学んだことのアウトプット

小説に限らずですが、自分が思ってもないことって書けないと思うんです。
書けたとしても薄っぺらい嘘になるので、おもしろくないです。
例えば、戦隊ものの悪役に共感しているのに、ヒーローの物語を書こうなんて無理なわけで。
だって、ヒーローとして自分は生きてきてないのに、ヒーローの気持ちや信念になんて共感できないから。
でも、こういう人は悪役の気持ちや信念はわかるので、ダークサイド側の物語が書けます。


結局、小説って自分の人生から学んだことのアウトプットだと、私は考えています。


いじめを受けて、中高時代をひとりぼっちで過ごしたこと。
生まれて初めてできた彼女に浮気されて、一方的に捨てられたこと。
人生で学んだこと、なんてたいそうなことを言っていますが、ささいなことでもいいんです。
ゴミ拾いをしておばあちゃんからありがとうって言われたこととか。
そこから、人の役に立つことをするのはいいことだって気づいた、みたいに。
小説を書く前に、好きなものを書く前に、今までの自分の人生を振り返ってみるのもいいんじゃないかなと思います。


それを、小説に落とし込むだけ。


自分が心を動かされたことを小説に落とし込めば、見てくれる人の心はきっと動きます。
実際に、私が過去にそういう体験をしました。


初めて出した新人賞で読者が増えた過去

大学生当時、私は「小説家になろう」というサイトで長編小説を投稿していました。
完全趣味で創作していたとはいえ、読者が増えるといいなぁと思っていました。
でも、更新しても更新してもファンは増えず、ひとりかふたりくらい。
悲しかったけど、でも、私はそのときまでの自分の人生で見つけた信念をその小説にぶつけていたので、例え誰も見なかったとしても私が私である証を残す目的で完結を目指していました。


ちょっと恥ずかしいですけど、そのときの信念の内容をお話しますね。
「数々の困難に直面しても、諦めなければ夢は叶う」
です。


通学時間が長すぎて大学に行くのがつらかったこと、単位が足りそうになかったこと、講義内容が全然頭に入ってこなくて授業が苦痛だったこと……
様々な困難が当時ありましたが、私は諦めずにひとつひとつに取り組みました。
その結果、全部解決したので、その影響ですね。


この信念をテーマに据えてエンタメとして落とし込む。
自分の性癖も詰め込んじゃったりして、そうして連載開始となったのが先の長編小説でした。


あるとき、新人賞のお知らせを目にしました。
受賞したら書籍化が約束されています。
あわよくば……いう思いで応募しました。


応募作品はネット上で読めるので、作者以外にも読者としてチェックしている人がいるみたいで。
へーそうなんだと何気なくネットサーフィンをしていたところ、その新人賞について語られている掲示板にたどり着きました。


そこで、私の小説について言及されている投稿を見ました。
要約して紹介します。


「●●●(小説のタイトル名)を読んでみたけど、おもしろかった。
 主人公が夢に向かってがんばりつつも、恋愛要素もあって楽しめる。
 なんでこの作品が埋もれているのか不思議」


すごくうれしかったですね。
感想まで書くほどその人の心が動いた(おもしろいと感じた)ってことなので。
結局、その長編小説は受賞を逃してしまったけれど、これをきっかけに読者が増えました。


会社員シナリオライター時代に言われたこと

大学生のときは、特に意識をせずに自分の信念を小説として発表してきました。
でも、自分の人生から学んだことを落とし込む重要性は、思い返せば会社員シナリオライター時代に言われて、そこから数年たった今、ようやく理解できた気がします。


大学を卒業してしばらくしてから、私は会社員シナリオライターになりました。
そのときにはもう、仕事として物語を創るのだからという意識が強く、自分の信念を小説に落とし込むのはやめていました。
クライアントが求めるものを出せるように、私はクライアントのコピーにならなければならない。
そんなふうに思い込んでいました。


あるとき、会社主導で小説を書くということで企画案の募集が始まりました。
コンペ形式で、参加者は社内の人に限定されています。
私も張り切って企画案を出しました。
審査員の人から、こう言われました。


「君は、この企画のどこが好きなの?」


答えられませんでした。


だって、私が出した企画案はいかにも読者受けを狙ったもので、自分が伝えたいテーマも好きなものも、なにひとつ入ってなかったからです。
審査員の人は、それを見抜いていました。


私が出した企画案は、早々に落選しました。


クライアントが求めるものを提出する「商業スタイルの物書き」なら、当時の私の姿勢は正しかったかもしれません。
でも、自分が発信するもので人々を魅了する「芸術スタイルの物書き」として、私のレベルは達していませんでした。
なぜかは今ならわかります。
自分の軸がない作品に、人の心は動かせないからです。


読者を楽しませるのも重要だけど

そんなわけで。
クライアントに依頼されているわけではなく、純粋に書きたいと思って小説を書くときは、まず自分が楽しめるかどうかが大切だと思います、個人的に。


この人は本当にこの小説を心から好きだと思って書いているのかな?
ウケを狙って媚びてるんじゃないのかな?
読者は頭がいいので、こういうの、すぐ見抜きます。


自分の人生を振り返ってみたうえで、きちんと信念を見つけて、それをエンタメとして落とし込めている自信があるなら。
読者の疑問には、小説の中で答えましょう。


私は、この小説が大好きなんですって。

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