【連載小説】優しい人々(6)
←前話
あらすじ
第一話から読む↓
https://note.com/yuhishort6/n/nc28fe446176c
第六話(全13話)
●日高義康 【HIDAKA Yoshiyasu】
痛ってえええ! まったくあんなところから急に飛び出してくるかね! 猫!
倒れた自転車を押しながら、店の前にやってきた。腕がひりひりする。こけて擦りむいた、たぶん。もしかしたら猫のせいじゃなくて、出勤前に一口だけ飲んできた焼酎のせいかもしれない。それだけでふらつくなんて、 俺も年を取ったもんだぜ。三十過ぎてからは腹も引っ込まなくなってきたし、借金は一向に減らない し、人生真っ暗! でも園さんに会えるしな、さ、仕事、仕事!
「園さーん! おはようございまーす!」
と、元気よく声を出すと、いつもの言葉が返ってきた。
「日高さん、遅刻だよ、今日も」
「あはは、すみません」
「あははじゃなくて」
「つーか、お隣は?」
園さんの隣に男が座って、パソコンをいじっている。俺よりは若い。彼氏か? 男が会釈をする。
「あ、えーと、須原くん。なんか困ってたから、部屋貸してあげたの」
「部屋?」
「うん、ひとつ空いてるから。あ、須原くん、こっち、日高さん。いちおう店長代理」
「いちおうって、ひどいな、園さん」
須原という男は「どうも」と俺に向かって言う。「よろしく」と返すが、困ってたから部屋を貸した、ということだけでは、さっぱりわからない。でもまぁ、いいか。こいつの飲んでるブラック缶コーヒーが、俺の好きなやつだ。 悪い奴じゃない。そう思ってハイタッチを求める。すると、そいつはなんのためらいもなく、手を上げてきた。パチン! 音が広がる。間違いない、こいつは悪い奴じゃない。
「今月、十二回目だからね、遅刻」
「ええ まじっすか! 困ったなぁ。すみません」
「十二回目!」
男が声を出す。やっぱりさすがに驚くのか、と俺は滅多にしない反省をする。「だよね、だよね! 普通驚くよね!」園さんが食いつく。どうやら他に従業員がいないおかげで、気持ちを共有することができなかったらしい。俺は園さんが可哀想に思えてきて、そして愛しくも思えてきて、なんだか心がぎゅっとなった。
「園さん、大変なんだね」
思わずそう言葉にすると、少し泣けてきた。
「え、え? どういうこと?」
男があわあわとしている。
「あ、気にしないで。日高さんって、こういう人だから」
まったく愛しいな、園さんは。
「じゃぁ、日高さん、私ちょっと買付け行ってくるから、留守番よろしく」
「いってらっしゃーい」
園さんは、店を出た。男とふたりになる。 「男」って呼ぶのも忍びない。何か良い呼び名はないかと聞くことにする。
「須原くんだっけ? あだ名とかないの?」
彼は「えーと、今までは名前とかでしか呼ばれてないので」と答えた。あ、飲みかけのコーヒーが机に! もしやこれは園さんの飲みかけでは!
「これ、園さんの?」
「え、ああ、そうですけど」
「ラッキー! 飲んじゃおう」
やったね、園さんと間接キス! 微糖は甘くて得意じゃないけど、園さんのは別腹だな。えっと、おっと、呼び名、呼び名っと。
「スハラだから、すーちゃん……いや、おもしろくない。すんちゃん……すんち。お、いいね、すんち。すんちに決定な」
「なんすか、すんちって。 うんちみたいじゃないっすか」
お、ナイスな返し! やっぱりこいつはいい奴。
「すんち、俺より年下だろ?」
「二十五ですけど」
「俺、三十だから」
「だから?」
「だから、俺の勝ち」
「よくわからないですけど。まぁ、いいや、すんちで」
「俺のことは、ひださんって呼んで」
「日高だから?」
「そう。年上だし、さん付けで」
「あー、はい」
つづく
第七話↓
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?