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第2回 『社会運動の現在』をどう読む?①

————:ここからは執筆者ではなく、読者目線で『社会運動の現在』をどう読んだか、どう読めるか、ということについてお話をうかがいたいと思います。鈴木先生、お願いいたします。

鈴木彩加:よろしくお願いします。『問いからはじめる社会運動論』では第1章を担当しました。

『社会運動の現在』について、まずはじめに感想からお伝えすると、私はおもしろく読ませてもらいました。先ほど青木さんがマッピングということをおっしゃっていましたけれども、この点については、成功されているのではないかと思います。

————:事例が「網羅的」、という意味でしょうか?

鈴木:社会運動といってもたくさんありますから、すべてを取り上げるのはもちろん無理というか、不可能に近いんですけれども。とはいえ『社会運動の現在』を読むと、この本の中では具体的には事例としては取り上げられてはいないんだけれども、自分の知っている社会運動について、この本の中で取り上げられている具体的な事例と比較すると、「この特徴は、あの運動に関してはあるのかな」とか、「この点については違うかな」とか、そういった比較の観点から読むことができると思うんですね。かなり広く、さまざまな団体が取り上げられているので、おもしろく読めたかな、と。

————:なるほど。比較するポイントを考えながら、読むと。

鈴木:とくにそのことを感じたのが、第8章の「被害の記憶をめぐる社会運動」でした。日系アメリカ人による、有名なリドレス運動のことが取り上げられています。私はこの事例のことをあまり深く存じ上げなかったので、第一にはすごく勉強になったというのがあります。他方で、私はジェンダー論も専門にしているので、日本の、というんですかね、「慰安婦」問題のことを考えながら、特にこの章に関しては読みました。

————:「従軍慰安婦」の問題を念頭に置きつつ、リドレス運動の章を読む、と。

鈴木:運動が一定の成果を上げることができた理由として、強制収容された当事者の方々とかその子、孫の世代が、被害の記憶の定義というか、その範囲を広げていくことで当事者意識を持つとか、運動のモチベーションにつなげていく、さまざまな解釈実践を行っていたことが述べられていました。そういったことを、私の場合は「慰安婦問題では、この点はどうなんだろう」と考えながら読んでいたんです。1990年代に韓国の女性、キム・ハクスンさんがカムアウトをしてから、元「慰安婦」の女性たちとその支援者によって、韓国だけではなくて中国とか台湾、フィリピン、インドネシアとか、ほぼアジア全体にわたっているんですけれども(あとオランダとか)、そういった女性たちによって日本政府に対して謝罪と賠償を求めるという活動がずっと続けられてきたわけです。

————:たしかに、リドレスですよね。

鈴木:明確にリドレス運動であるにもかかわらず、日本の中ではその意味というのが、つまり賠償するということが、たんにお金の問題に狭められてしまう。彼女たちがずっと何を求めてきたのか、リドレス運動ってなんなのかということが、加害国であった日本の人びとには理解されていないんだろうな、と。第8章の話は、一つの国の中での話だったと思うんですけれども、「慰安婦」問題の場合には、日本軍が徴集した女性たちがすごく広範囲にわたっていて、そこには植民地の問題、特に朝鮮半島とか台湾、沖縄、そういったところも絡んでくるわけです。女性たちの国籍がすごく広範囲にわたっている。国をわたるような被害が出ていたりするということだったり、慰安所が設置された時期、あるいは女性たちが徴集された時期によって、被害の経験というのが異なってくることもあって、この第8章のような被害の記憶をみんなで解釈を変えて広げたりして、みんなで共有していく、それで運動を展開していくという戦術はつくりにくいし、共有されにくいし、ということがあるのではないかと思います。

————:掘り下げられそうな論点かもしれませんね。

鈴木:こんなふうに、リドレス運動の議論をとおして、「慰安婦」問題に関する独特の難しさを考えたりしました。この本の中では直接取り上げられていない運動に関しても「この点はどうなんだろうか」ということをいろいろ考えながら読むことができますし、その点がおもしろかったかな、と。もう1点、今度は本の中と外をつなぐような見方もできるというのではなくて、本の中での話です。

————:どんなふうに読まれましたか?

鈴木:第Ⅰ部から第Ⅱ部、第Ⅲ部と、章ごとのまとまりがつくられているんですけれども、もっと内在的にそれぞれの章ごとでのつながりみたいなものも見出して読めたのが、おもしろかったと思っています。たとえば、ある一つの社会運動、そうくくっていいのかわからないですけど、それがその中だけで完結するんじゃなくて、直接は関連していないかもしれないけど、ほかの運動にも影響を与えうるんじゃないかというところも『社会運動の現在』からは読み取れたと思います。具体的にいうと、第13章のジェンダーとセクシュアリティの運動のところです。事例としてはセクハラをめぐる国内外の動きを扱っています。日本でセクシュアル・ハラスメントという言葉が社会の中に根付いていくにともなって、さまざまなハラスメント、○○ハラスメントという考え方が生み出されていったというふうに書かれています。たとえば「マタハラ」「パワハラ」「アカハラ」「アルハラ」とか、いま○○ハラスメントという言葉がたくさんありますよね。

————:ハラスメントという言葉は、いまは日常的に使われていますね。

鈴木:こうした動き自体については、ほかの章に書かれているわけではないんですけれども、たとえば、第9章のヘイトスピーチをめぐる運動のところだったら「レイシャル・ハラスメント」という言葉が出てきます。もともとはセクハラという言葉が広がっていくにしたがって、ジェンダーやセクシュアリティだけじゃなくて、ほかのエスニシティとかそういうふうなところにも使われるようになっていると。第9章の人種差別・民族差別に関しては、日本ではヘイトスピーチというかたちで問題になっていますが、差別自体はこれまでももちろんあったわけです。それが、レイシャルハラスメントという言葉ができたことによって、新たに問題化できる場面が増えていく。セクハラという言葉が根付いたからこそ、他のところにも波及していったということがわかって、おもしろいかなと思いました。

————:たしかに、自分なりに1冊の筋を通す読み方を考えるのって、とても興味深いことですね!

鈴木:第13章では「バックラッシュ」とか「バッシング」という言葉にも言及されていました。「バックラッシュ」は、もともと1990年代のはじめの頃にアメリカのフェミニズムが、それまで獲得してきた成果に対して、それを後退させるような現象のことを指して使われだしたんですね。日本でも『バックラッシュ』という、この言葉を使い出したスーザン・ファルーディが書いた本が比較的早く翻訳されて、アメリカで出版してから1、2年で日本にも入ってきてはいたんです。でも、それが実際に現象として「日本でもバックラッシュが生じた」と言われるようになったのは、男女共同参画基本法がつくられて、それに対する反発とか批判がすごく盛り上がった2000年代頭のころです。

————:言葉の膾炙に注目するのは、知識社会学的というのでしょうか。すごくおもしろいです。

鈴木「バッシング」という言葉に関しても、ほかの運動のところで取り上げられていたりとかして。たとえば第12章の貧困をめぐる社会運動のところでも、生活保護バッシングというかたちで言及されていたりしました。こうした「ハラスメント」とか「バックラッシュ」「バッシング」という言葉が、一つの社会運動……フェミニズム運動というすごく広いくくりですけれども、一つの社会運動の中から出てきた言葉が、ほかの社会運動でも使われていくようになるという点が、複数読み取れるわけです。運動によって取り扱う検討課題、あるいは「敵手」みたいなものが異なってはいても、ある社会運動がほかの領域の運動にどういう影響を与えうるものかを考える上でも、つながりが見いだせておもしろいかな、と思いました。

————:それでは第8章「被害の記憶をめぐる社会運動」を書かれた土田先生、リプライをいただけますか。

土田久美子:よろしくお願いします。私が担当した章にも触れていただいて、とてもありがたいなと思っています。最初の小杉さん、青木さんの話にちょっとつながるところなんですが、そもそもこの本ができるときに「テキストとして使えるように」という長谷川先生の趣旨を、途中まですっかり忘れていて、自分の研究でそのとき書けることを頑張って書いて、途中の打ち合わせで、「はっ、テキストだった……」というところがありました。

————:そうだったんですね(笑)

土田:それで、今回書いた日系人の運動ですけれども、鈴木さんからご指摘いただいたとおり、第二次世界大戦に関わるリドレスとして、従軍慰安婦問題とか、あるいはそれ以外にも他の運動を引き合いにされることはしばしばありました。私が大学院生だったときに学会報告をしても、そういうコメントをいただくことが前からしばしばあったんです。ただ同時に、従軍慰安婦の問題であるとか、ほかの戦争責任に関わるような問題を考えるときにどうつなげていけるのかというのは、いろいろと考えられる部分もある一方、どこまで取り組むのかというのは私自身けっこうペンディングにしてきたところがありました。今回、鈴木さんからそうしたことを指摘していただいて、あらためてちょっと考えたりもしたんですね。

————:比較して、はじめてわかることもありそうでした。

土田:従軍慰安婦の問題と違うところ、重なるところ、それぞれあると思います。重なるところは、もちろん戦争責任に関わる問題であるところです。他方で、複数の国にわたっている従軍慰安婦の問題と、日系人のリドレスでは、やはりちょっと違うところもあります。先ほど鈴木さんからも指摘があった、被害が複数の国にわたっていることで、共有できる機会が少ないのでは、という話はたしかにそうだなと思っています。

日系人のリドレスの場合には、自分たちで複数の世代にわたって記憶を共有できるように戦術を練ってきた部分が大きいんです。でも、後半のほうで出てくるムスリムのグループの場合には、ムスリムのグループの側から、同時多発テロ以降の状況によって、日系集団のいわば外側から記憶の共有を求められるというかたちで、2つの運動が結びついていくということがありました。そういう意味では、被害の記憶を共有する機会、もしくは装置というものはいろんなところにあるのではないかな、と。

————:なるほど、具体的にはどのような機会があるのでしょうか。

土田:たとえば従軍慰安婦のほうですと、ミュージアム記念碑の存在は複数の国にまたがるような被害を受けた人たちを結びつける共有装置になると思います。というのも、私の章で扱っているグループの人たち(ロサンゼルスの人たち)は、従軍慰安婦の問題にもたいへん関心を持っていて、自分たちのリドレスが終わったここ数年の話ではあるものの、ロサンゼルスやカリフォルニア州で従軍慰安婦の像が立てられるときに像の設立を支持する側に回っていく。また、女性に対する虐待や差別の被害の事例というかたちで、具体的な運動への参加まではしないものの、従軍慰安婦の人たちの語りや要求を支持する側に立っていく、ということもあります。とすると、被害の記憶を共有する装置によって結びつく機会というのは、けっこういろんなところにあるんじゃないかな、と。

鈴木:ありがとうございます。平和の碑がアメリカで設置されましたけれども、本章の中で扱われている団体が、それを支持する側に回って活動しているというお話が聞けたのは、すごくよかったと思います。経験を共有していくというところで、博物館が果たせる割合は大きいんじゃないかというところは、なるほどと思いました。いま、台湾のミュージアム(阿嬤の家 平和と女性人権館)は、もしかしたら閉じることになるかもしれないそうです(注:COVID-19の影響で収入が減少し、2020年11月10日に閉館となったが、移転して再開する計画が立てられている)。ミュージアムって、運動としてイメージされることはあんまりないのかもしれないんですけれども、そういった運動の中での博物館の位置づけとか役割を考えるのも、おもしろい論点かもしれませんね。

(以下、第3回へつづく)


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