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人が願いとつながり直すとき。

昨日今日と2日間、臨床心理の技法のひとつ「ブリーフセラピー」の研修を受けた。両日とも10-17時のオンラインで、さすがに疲れてしまった。

キッカケは、昨年の旅だった。人生相談に乗ってくれる宿「あわ居」での滞在を通して、聞くという行為の可能性を強く感じた。そんな僕を見て、宿の主人が勧めてくれたのが臨床心理の本だった。

臨床心理と聞くと、不登校のスクールカウンセラーや鬱病を扱う精神科医など、何か病名のついたクライアントの相談に乗るイメージがあるかもしれない。

けれど、健常者と呼ばれる人たちだって日々様々な悩みを抱えている。ひとり孤独に悩みを抱えてしまったとき、人に話を聞いてもらえることを通して、視界がパッと開けた経験は誰しもあるだろう。僕自身、ずっと孤独に悩み続けた人間としてその力に惹かれ、次第にのめり込むようにして臨床心理を探求した。その過程で、ジョン・L. ウォルター著「ブリーフセラピーの再創造」に出会えたのは幸運だった。

家族、恋人、仕事、生き方。悩みは人それぞれだけれど、じゃあどうなれば幸せに近づけるのか、心根から信じられる理想像を思い浮かべられる人はとても少ない。

だから他人に語ることが突破口になったりする。自分をわかって欲しくて、全力の言語化を試みるとき、それまで無自覚だった思いもよらない自分の願いにアクセスできることがある。

そうか、願いとつながり直してほしいのか。

僕らは大人になるにつれて、自分に嘘をつくようになる。理想と違った現実を前に「これも幸せだよね」と自分を説得さえする。それがきっと悲しいのだ。悔しいのだ。もっと願いを生きてほしいのだ。

そんな自分自身の願いが、この本を通じて唐突に輪郭を帯びた。テクニック論を超えた、人と人との対話の本質が語られていた。良書です。

人が願いとつながり直すとき、表情があかるくなって、心は高く遠くへと離陸していく。その瞬間に立ち会えることが嬉しくて、友達からゼミ生まで趣味で相談に乗っていた。一方で、人の心を扱うのは危険を伴う。特にゼミ生の相談に乗る際、僕の言葉ひとつで彼らの人生は大きく変わる。

より的確に効果的な「聞く」を実践したかった。そのためには読書じゃ足りない。専門家の監修のもと、臨床の経験を積む必要性を感じて参加したのが冒頭の研修だった。

いくつになっても学ぶのは楽しい。特に僕のような独学で学ぶ者にとって、難しい学問をしっかりと体系立てて教えてもらえる場は本当に有り難い。

一方で、ロールプレイングを通じた臨床心理体験では、小グループの中ではという条件付きにはなるが、僕が一番自然に出来ていたように思う。そういう意味では強烈な学びがあったわけではないが、自分のレベルを客観的に把握できた点は良かった。

このまま進むと、検定を受けて資格を取って、ということになるが、肩書きに興味があるわけでもなければ、不登校や鬱病の人の相談に乗りたいわけでもない。もっと普通の人や、何か創造性を発揮したい人の役に立ちたい。でも、どうすれば?

助けを求めて事務局に一通のメールを送った。これが次の扉を開くきっかけになってくれたら、と願うように思う。

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