きっといま、かけがえのない時間の中にいる

毎日noteをつけ始めて1ヶ月が経つ。振り返っての率直な感想は、”ちょっと綺麗な文章が多かった”。僕はもっと弱くてダサい人間だ。だから試しに昨日は、まだ手つかずだった自分の過去を吐き出してみたのだった。

感想は、うーん、という感じ。自分の中ではわかりきっている真実をそのまま写し取っただけで、書く前と後ではなんの変化もない。それだけ、この過去は過去になり切っているという証だろう。もし今でも尾を引いていれば、表に引っ張り出す作業はもっと苦しく、重たいはずだから。

だからいま感じているのは、出す必要のない弱さをひけらかす"みっともなさ"みたいなもの。もっと素直に生きねば。反省したのでした。

じゃあ素直さってなんだろう。話を進めてみる。心の内に秘めた「弱さ」や「怒り」といった感情を吐露する姿は、一見すると素直に感じられる(だから必死に探してしまった)。だけれど、ないものはないのだ。そう言い切ることがいまの僕にとって精いっぱいの素直さなのかもしれない。

そう言えてしまう程度には、いまの僕には取り立てて大きな悩みがない。きっとそういうタイミングなのだろうけれど、僕のことをいちばん長く見てきたボクからしたら、とんでもなくすごいことなのだ。悩むことがアイデンティティみたいな人生を歩んできたから。そこにすがりたい気持ちを振り切って前を向く。目の前には立ちはだかる壁。考えなければならないことはいくつもあるけれど、「どうしよう」と頭を抱えるのではなく、「どうやってクリアしよう」と辺りを見渡している。

つまり絶好調。きっといま、かけがえのない時間の中にいる。

そんな話を昨晩友達と話していたら、「…プライベートのほうは順調じゃないね」と嫌味を言われた。やかましいわ。

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