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京都ハンナリーズを退団しました

プロスポーツ現場でトレーナーをしたり、鍼灸整骨院でアドバイザーをしたり、若手トレーナー向けに交流会を主宰したりしている、竹田祐平です。
 
本日の現場からは【京都ハンナリーズを退団しました】と題してお話します。
 
今回は、ご報告回とさせていただきます。

リリースでもあった通り、今シーズン限りで京都ハンナリーズを退団致します。

先にお伝えしておくと、クビでもなく、喧嘩別れでもなく、双方合意での退団です。

改めまして、日頃から京都ハンナリーズを応援して頂いている皆さん、いつも本当にありがとうございます!


思い返してみれば、この3年間で本当に沢山のことがありました。


私は、キャリアのほとんどを野球の現場で過ごしてきました。

前職は北海道日本ハムファイターズで働いていて、そろそろ野球村から出て更なる成長が必要だと思い始めた頃に、運命的に出会ったのが京都ハンナリーズでした。
(繋いでくれたのは人と縁です)

移籍の際は、ファイターズの多大なるご理解があり、契約期間が残っているにも関わらず11月中旬から京都ハンナリーズに合流することが出来ました。

初めてのバスケット
ルールも知らなければ、しきたりも知りません。
まったくの部外者です。

そんな中、初めてチームに行った日の事は今でも鮮明に覚えています。

当時書いた日記の一部を少しだけ…

11/20 京都ハンナリーズに正式合流しました。
人前ではカッコ良くいたいものですが、今回だけはリアルな弱い部分をシェアさせて下さい。
ある種の勝ちパターンからの再スタート。
全体練習開始時に手短に挨拶。
最初にした仕事は、汗だくなりながらのバランスボールの空気入れです。
選手のテープを巻いてみたら、途中で交代指示を出され、練習中は流れにもついていけず、振られたリハビリ選手にすがるようにつきっきりの対応。
つきっきりは絶対にやりたくないはずだったのに、手放しなるのが怖くて、すがるようにつきっきり。
西川さんとか診ていたんですか⁈との質問には、あっ…はい。と答え、金子さんは知っていますか?と尋ねると、…見たらわかるかもしれません。と言われ。
とにかく、終始アウェー感は否めませんでした。
事務作業を経て、23時半頃にホテルに到着。
コンビニで買ったモツ煮とビールを飲みながらの至福の時間、夜中のスポーツニュースでBigBoss率いるファイターズのニュースを観ると自然と涙が溢れる始末。
やっぱりある種の勝ちパターンにすがった方が良かったのではないか?慣れ浸しんだ野球界で勝負を続けた方が良かったのでは?と思わずにはいられませんでした。
バスケ参戦1日目を終え、本当に不安しかありません。
まさかこんな気持ちでテレビ越しの鎌ヶ谷を見るとは思いませんでした。
今だけの感情では、この決断に後悔しています。
しかし、いつかこの決断が良かったと思えるように、しっかりと地に足つけて前へ進んでいきたいと思います。

こんな日記を書いていました。
 
しかし、当然ながら実際はそう簡単にいくはずもありません。
本当に悪戦苦闘しながら、日々懸命に過ごしていくのに必死でした。

シーズンも佳境に差し掛かる頃に、ようやく少し余裕が出てきて、冷静に周りを見ることができるようになったと記憶しています。

一年目の相方ジャッキーと


2年目のシーズンはS&Cに専念させていただくことで契約を締結しました。

と言うのも、スポーツ界ではありがちな両方(メディカルとストレングス)をやってほしいという依頼をいただいていました。

もちろん、それは一定の評価であり嬉しい部分はあります。

しかし、私はこれまで本当に素晴らしいS&Cコーチの方々を見てきました。
S&Cコーチは、チームや選手に与える影響や価値がとても大きく、非常に重い職であると認識しています。

だから端的に言うと、
両立・兼務なんて出来るわけがない。というのが正直なところです。

オファーはありがたいが、しっかりとS&Cの業務をやる為には専任でないと難しい。だから、S&C専任での契約にして欲しい!と交渉し、チームには理解していただきました。
(わがままをことごとく受け入れて頂きました。感謝です。)

大きなことを言っておきながら、これまで兼任でしか経験して来なかった私にとって、専任S&Cというものは大きな挑戦でした。

試行錯誤しながらではあるものの、原理原則を大切にし、ブレることなくやり続けようと決めていました。

つい目の前の選手や、流行に流されそうになるが、そこは一旦立ち止まり、最大公約数的な課題は何か?原理原則に沿っているか?
そう自問自答しながら、軸だけはぶらす事なくやってきました。

当然、上手くいかない事もあったし、勉強不足な部分もあったと思います。

しかし、最大公約数的な課題やトレーニングピラミッドにチーム全体のステージを照らし合わせながら、流行に流される事なく、淡々とやるべき事をやり続けました。(やり続けてもらいました)

少なからず、チームや選手が段階を登るサポートは出来たと思っています。


そして、3年目の今シーズンはヘッドトレーナーという立場でスタートしました。

当然、自分だけ良ければ良い訳ではなくなります。

たとえ少人数であってもリーダーはリーダー。

リーダーとして何が出来るのか?何をしなければいけないのか?
この辺りについては、時間をかけて考えました。

そして、私なりにリーダーとは?について一つの答えを出しました。

「プロとして結果を出す事を前提に、挑戦できる環境を提供する」

つまり、
できる限り権限を委譲し、余分な口出しはせず、任せてチャレンジさせる。
取り返しのつく失敗なら許容し、常に挑戦できる環境を与える。です。

文字にしてしまえば、とてもかっこ良く見栄えは良いです。

しかし、簡単に出来ることなら誰でもやっていますし、誰でも挑戦できる環境が既に整っているはずです。

この目標を掲げてからは、多くの課題や壁にぶち当たりました。

当然、選手にも迷惑をかけてしまう事もあったかもしれません。

この経験で気づいたのは、

任す側には、任した責任があり
任された側には、任された責任がある
 

ということです。

当然、最終の責任はその部門のトップが取るべきです。
(トレーナーチームであればヘッドトレーナー)

しかし、うやむやにしてはいけないのは、任されている側にも責任があると言う事です。

そして、任す側はその重みと意図をしっかりと伝え、理解させる責任があると思っています。

そんなことに気づけたのも貴重な経験でした。

恐らく、リーダーとは?を掲げず、ただ流れに身を任せているだけでは、気づきもしなかったし、壁にぶち当たることも無かったと思います。

フロントスタッフを交えてのEAP確認

振り返ってみると、チームや選手には何も残せなかったと反省しています。
本当に自分の力不足を痛感した3年間でした。

しかし、この環境に飛び込んでいなければ自分の力を過大評価し勘違いしたまま、キャリアだけが先行し、老害となっていたことは間違いないと思います。

そう考えても、この経験は自分にとって価値のある時間だったと思っています。

でも本当に苦しい事も多かった。

結局、チームや選手、会社には何も残せなかったけど、まずはこの3年間を戦い抜いた自分を少しだけ褒めてあげたいと思います。

また、
バスケだけに留まらずスポーツの魅力を十分に感じることが出来ました。

これは、今後の活動に大きな意味をもたらしてくれると確信しています。

京都で学んだ事、気づいた事を大切し、これからも一歩一歩進んでいきたいと思います。

3年間、本当にありがとうございました。

これからも、京都ハンナリーズへのご声援を宜しくお願い致します。

私の今後については、時期をみてお知らせする予定です。


というわけで、
【京都ハンナリーズを退団しました】と題して、お話させて頂きました。
本日も、最後まで読んで頂きありがとうございました。
気づきのキッカケになった方は、いいねやフォロー、シェアなどを宜しくお願いします。
 
それでは、この後も心身ともに充実した時間をお過ごしください。
 
以上、現場の竹田祐平からでした。

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