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「群論から死について」


こんにちは!
今日も今日とて書き綴ってゆきます。



近頃は、色々と勉強したりなんだりと
精神的な事に時間を使っています。

写真撮影の方法しかり、音楽理論しかり、
昔の軍艦の史実しかり、化学しかり。。




特に最近は、

「群論」

なるものを、大学の講義を受けて以来
久しぶりに再勉強しています。

「化学物質の結晶構造の解析」
ということを現在やっていて、
そこで必要な知識なのです。

結構大変ですが、
なんだか学習欲が凄くて
夢中になって勉強しています。




この理論、難解過ぎて
学生の頃は匙を投げていました。

でも、今改めて勉強してみると
あの頃よりもしっかりと理解できます☺️

久しぶりに取り組むと、
前はできなかったことが
できるようになったりするもんです。
本当に不思議です。

すごく明確に、明瞭に、
そして体系立てて、
綿密に構築された学問だと実感しています。

「群論」
もっと真剣に勉強しておくんだったな。。






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大学では化学を専攻して勉強していました。

その中で、”分子の対称性” というものから
諸々の物理化学現象を
考察するという分野がありました。

その中で出てきたのが、
「群論」
という概念です。

Wikipediaって便利ですね。
こんな風に割としっかり書かれている記事は
きちんと引用できたりします。



多分、読んでも解らないと思います。

嫌味でもなんでもなく、
私も9割は理解していません。

全部を理解する必要はなく、
対称性という観点から
この「群論」という概念を
道具として使えれば、
私の利用用途として充分ですから。



ざっと見ると、
数学の一分野だということは
分かると思います。

こちとら化学専門ですので、
環だとか体だとか元だとか、
そういうモノは全く解りません。

でも、凄まじい概念だということは
想像に難くありません。
現代科学のあらゆる分野に、
この「群論」は用いられています。

なので、
「誰がこんなものを創ったのだろう?」
すごく気になりました。




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調べてみました。
すると、

「エヴァリスト・ガロア」


という数学者が初めて記述したという
情報が出てきました。

ガロアという人物は、
彼の理論を説明するために
「群論」という概念を
導入したのだそうです。


またWikipediaです、すみません。。
でも相当に詳しく、彼の生涯について
記述されています。

ざっとで良いので、
一度目を通してみてください。
きっと見入ってしまうと思います。





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驚きました。

この「ガロア」という人物、
齢20で亡くなっているのです。

出自、家族、業績、政治活動 etc…
どんな人生を歩んだのか、
読むと解ります。

「激動の人生」
なんて生易しいものではないです。
普通の人間の10倍くらいには
濃密な人生を送っています。

考えてもみてください。
20歳で亡くなったということは、
彼の凄まじい数学的な発見は、
10代の間に
全て成し遂げられたものなのです。




そして更に言えば、
彼の数学的業績って
生前は殆ど評価されていません。


死後数十年経ってから
ようやくその生涯と業績が知られ、
多大なる評価を受けるに至っています。

あの
「フェルマーの大定理」
を証明する重要な役割も
果たしていたそうな。。


なぜ生前に評価されなかったのかと言えば、
要は研究の先見性が凄すぎて
1800年代の数学の常識では
理解が追いつかなかったからです。



そのため、当時の有名な数学者は
こぞってガロアの業績を
批判していたそうです。

分からないもの、
自分の常識外のことは徹底的に糾弾する。
現代にも通ずるモノがありますね🙂

数学界のゴッホと呼んで
差し支えないかと思います。



彼が用いた理論は、巡り巡って
「結晶構造解析」
「量子力学」
「分子軌道のエネルギー計算」
などにまで発展しています。

数学という枠に留まらず、
現代自然科学のあらゆる分野に
影響を及ぼしている概念を、
わずか20年という生涯の中で
提唱し始めたのです。





更にこの「ガロア」という人物、
その最期がまた衝撃的です。

決闘で亡くなっているのです。

色恋沙汰とか、
政治活動の敵による某反とか、
色々と説はあるようですが、
真実は謎のままです。

決闘に際して友人に宛てた遺書には、
ガロアの数学での研究の進捗が
記してあったといいます。

「この数学的成果で論文が3報書ける」
なんていう風にも書いてあったそうです。

遺書にまで研究の痕跡を遺し、
50年後に その遺書の記述が正しいことが
証明されています。

本当に先進的な思想を持っていたわけです。





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ここまで色々と調べてみて、
ふと素朴な疑問が湧いてきました。

「この “ガロア” という人間は、
 死ぬ瞬間に幸せだったのだろうか?」

至極単純かつ答えのない問いです。
もはや誰にも分かるはずのない、
稚拙で粗雑で子供じみた疑問です。




どうでしょうかね?

天才的な数学的素養を持ち、
でも生前はそれを全く理解されず、
父親は自殺してしまい、
10代で書いた論文は他人に紛失され、
王政復古のフランスで
革命運動に巻き込まれ、のめり込み、
最期は申し込まれた決闘を受け、
20歳という若さでこの世を去る。

おおよそ幸せとは縁遠いように
思えてしまいます。
少なくとも、私が思い描く
幸福の概念から考えると。





でもガロアは死の直前、
駆けつけた弟に
こんな言葉を遺しています。

「泣かないでくれ。
 20歳で死ぬのには、
 ありったけの勇気が
 要るのだから!」


これを見た時にふと思いました。

もしかしたら彼は
幸せだったのかもしれない、と。




自分の命が尽きる時、
何を想っているかなんて
全くもって想像できません。

それは、「死」というものを
殊更強く意識することがないからです。

そりゃそうですよね。
「人生の終い方」なんて
そうそう想い描くものではございません。

でもどんな人間にも
“最期” というものがやってきます。
それがいつになるかは
分かりませんが。




群論の勉強から始まり、
気がつけば数学者について調べ、
更に突き詰めたら
「死」について考えていました。

「非業の天才は早死にするのが常」

と聞いたことがあります。
もしかしたら
言い得て妙なのかもしれません。

「ガロア」という一人の天才は、
たとえ世間に理解されなくとも、
自分の研究が後世で偉業になる事を確信し、
それを友人に託して
逝ってしまったのです。


完全な私見ですが、

「やる事はやり切った」

なんていう風に考えたのかも。
それくらいに潔いのです。


もちろん完全な憶測ですが、
現にその最期の偉業でもって
今日の科学技術が支えられているのだから
あながち間違いでもない気がします。

天才という人間は、
「やり切る」からこそ
短命でありながら
偉業を遺せるのかもしれません。





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長々と書いてしまったので
そろそろ締めます。

人間はそれぞれ
唯一無二の人生を歩んでいます。

同じものなんて無いし、
自分の生き方を
誰かに指図されることなんて
決してあってはならないのだと
私は思っています。


だからこそ、

「自分が満足できるか」

が幸福の基準になるのだと思うのです。

20年という短い命でも、
「やる事はやり切った」
と確信したからこそ、
天才数学者は時代の波に呑まれて
彼岸へと渡ったわけです。

まさに「太く短く」です。

その生き方を否定するのは
野暮ってもんですし、
誰も否定する権利はありません。

自分の正義を貫いて、
魂の望む方向へ向かった結果なのでしょう。
真実かどうかは解りませんが、
どうしてか確信があります。





死に際に満足できるように生きましょう?

生まれてから死ぬまでって地続きなんですよ。
実感する機会って意外に少ないですが。

もっと言うと、生と死が地続きならば、
「今この瞬間」さえも地続きです。
今この瞬間も老いています。

1秒毎に肌の皺は深くなり、
筋力と骨密度は低下し、
手足は衰えてゆきます。

当たり前のことです。
でも普段は考えることなんてないですよね。




だからこそ、この一瞬に
満足しながら過ごせば、
きっと死ぬ瞬間も
満足しながら逝けます。
全部繋がっているんです。






群論という概念に始まり、
ガロアという人間の生涯を
自分なりに紐解いてみて、
感じた事を書いてみました。

どうでしょう。

「瞬間瞬間に
 満足しながら
 生きる」

なんだか素敵な事だと思いませんか?





最期を想像すると、
どうしても恐く感じます。

でも、その時に
「やり切った」と思えるのなら、
少し話は変わってきます。


勉強でも趣味でも
人間関係でも遊びでも
なんでも良いんです。

その時々、瞬間瞬間を楽しんで、
満足しながら生きれば良いんです。
全力で取り組めば良いんです。

そういう人生にしたいなと
私は強く感じています。






この文章が何かに響くのなら、
とても嬉しく思います。

全て自分の中から
生まれてきた言葉たちです。

たとえ見知らぬ誰かであっても、
その人の人生の足しになるのなら、
私はこれを書いている今この瞬間に
満足できるというものです😌

今日も満足させてくれて
ありがとうございます☺️

また何か自分の思想を
遺せたらなと思います。



それではまた!

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