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「自閉症スペクトラムの天才料理人」のドラマ「厨房のありす」本日放映開始

1月21日22時30分から日本テレビ系で「厨房のありす」というドラマが始まります。

主要な放送局のゴールデンタイムに、自閉症スペクトラムの主人公が描かれるドラマが放送されることになりました。「僕の大好きな妻」(2022年フジテレビ)が深夜の時間帯だったのに比べれば、進歩を感じます。

ですが、このドラマの放送を前に、ひとりの自閉症スペクトラムの当事者がリンクトインで、インパクトの強い意見を書いていました。以下、それを要約して紹介します。

一点目は、主演の門脇麦さんが、当事者ではないことです。
アメリカでは、マイノリティの役は当事者が演じるべきではないかという議論が近年非常に盛んです。そこには、
①マジョリティに属する役者がステレオタイプに縛られた演技をすることは、差別を助長する恐れがあり当事者にとって脅威である。
②当事者俳優の雇用の機会を奪う。障害のないシスヘテロのキャラクターは数え切れないほど作られるのに対して、マイノリティのキャラクターは少数しか作られない。その数少ないポストまでマジョリティが占めてしまっては、当事者俳優の活躍の場はどこにあるのか?
という二つの論点があります。
いつか、差別がなくなった暁には、マジョリティもマイノリティの役を演じて良いし、マイノリティがマジョリティを演じてももちろん良いという世の中になって欲しいです。でも、差別があり、それが当事者の生活を圧迫している限り、「当事者の役は当事者が演じる」ということが必要だと思います。
二点目は、「自閉スペクトラム症のある天才料理人」という設定です。
発達障害と才能を結びつける描き方は、当事者にプレッシャーを与えます。全ての当事者に才能があるわけではありません。才能のない当事者の目には、「才能があるから社会に受け入れられる」という表象はどのように映るでしょうか。「才能がない自分はこの社会で生きていていいのか」という恐怖を与えませんか。才能がある当事者でも、それを発揮し続けなければ居場所がなくなるというプレッシャーを感じることでしょう。才能の有無に関わらず、ありのままの自分で平凡な幸せを手に入れられるという表象が、当事者には必要です。今回のドラマもそうであってくれることを祈ります。

原文は、そのまま自閉症スペクトラムの当事者団体の声明文になりそうなほど、しっかりとまとめられた文章でした。

確かに、アメリカではマイノリティの役は当事者が演じるべきという議論が近年非常に盛んですし、日本でもそれに影響された動きが出ています。最近では聴覚障害当事者コミュニティでそうした意見が高まり、「デフ・ヴォイス」というドラマが当事者俳優が参加して作られたことが注目されました。
私も、ニューロダイバーシティのコラムを書く仕事を受けた時、「僕の妻は発達障害」がドラマ化された時に、「発達障害の役を当事者が演じるのも見てみたい」という声があったエピソードを紹介したことがありました。

「発達障害の役は当事者が演じるべき」は、当事者のごく一部が主張してはいますが、当事者コミュニティで広くコンセンサスを得て制作側に提言していく、というまでには至っていない感じです。しかし今後、何年か後には、こうした主張が共感を集めていくだろう、とみています。いまは「時期尚早」と言われていても、トライ&エラーを繰り返しながらやる形になると思います。時代が追いついてきているんですから。

ドラマとはずれますが、私は「障害者雇用の報道を当事者ジャーナリストが伝える」ということに取り組んできました。従来の健常者中心の考えとは異なった、当事者ならではの「あるある」「MeToo」や経験知が反映されることで、障害者雇用の報道がこれまで以上にリアルで詳細で豊かなものになると考えます。実のところ、日本では障害者の労働問題を当事者の書き手が伝えるのは時期尚早かもしれません。問題を、正確に、できるだけ詳細に理解し、忙しい編集者に提案できる力がないと、書き手が折れてしまうリスクさえあります。でも、いつまでも「時期尚早」と言っていては、いつまでも誰もやらない。誰かが挑戦する必要があると思っています。

発達障害と才能を結びつける描き方は、当事者にプレッシャーを与える。全ての当事者に才能があるわけではない。才能のない当事者の目には、「才能があるから社会に受け入れられる」という表象は「才能がない自分はこの社会で生きていていいのか」という恐怖を与える。才能がある当事者でも、才能を発揮し続けなければ居場所がなくなるというプレッシャーを感じる。才能の有無に関わらず、ありのままの自分で平凡な幸せを手に入れられる、という表象が当事者には必要だー。
これは、最近の発達障害当事者コミュニティでコンセンサスを得つつある考えです。現に当事者コミュニティから制作側に提言されるようになってきています。

番組HPで主人公、ありすのプロフィールを読むと、いわゆる「ギフテッド」タイプの当事者という印象でした。「自閉スペクトラム症の特性のため、頑固でこだわりが強く、コミュニケーションは苦手。だが、驚異的な記憶力の持ち主で特に大好きな化学においては膨大な知識を持ち合わせる。5歳で大学生の課題を解くまでに。」

「ギフテッド」は発達障害界隈でも特殊な位置付けで、ギフテッドの教育が「本人に勘違いしたエリート意識・競争意識を植え付ける」と批判されることもあります。こうした当事者のなかには「目立つと他の才能のない当事者側からの嫉妬・攻撃の対象になる」という本音も抱える人もいます。ギフテッドをどう捉えるかは、当事者の間でも意見が分かれています。
間違っても「才能に溺れ、高慢」というような当事者に非難が行くステレオタイプでない表象であってほしい。

このドラマのHPを見ていて、日テレは多様性のトレンドを意識していると思いました。発達障害の他にも、ゲイの登場人物が出てくることも知りました。ヒロインはゲイのシングルファザーに育てられており、この父親は同性カップルから恋愛相談に乗ることもある様子が描かれる、ということです。ゲイの当事者コミュニティからはどのような意見が出るのかも気になります。

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