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企業不祥事の報道のあり方 「過剰コンプラ」の責任はどこに?

6月21日のアベマプライムで放映された、企業不祥事の報道のあり方をめぐる討論を見た。そこで「過剰コンプラ」(コンプライアンスの行き過ぎ)でSNS炎上にばかり注目した底の浅い報道が多発したり、コンプライアンスのための生産的でない仕事が増えたりする現象がある、と討論されている。

善悪二元論でない、問題解決型報道

番組では、企業不祥事の具体的な例として、吉野家で問題となった「シャブ漬け」発言の炎上、それに2万9000人のオンライン署名が集まったことなどが取り上げられている。

「シャブ漬け発言」などはあってはならないことだ。しかし今の読者には、企業不祥事の報道について、「庶民=善、大企業=悪」という単純な構図は響かないことも多い。

今は、問題が起きた背景・原因、今日の世情の変遷を踏まえ、どうしていくのがいいかの見通しを示していくのが、評価される傾向にある。それが「問題解決型報道」(調査報道)で、世の中に必要とされている。

ただそれには時間がかかり、リスクもあり、ビジネスモデルとして成り立ちにくく、深入りはやめておこう、となりがち。

筆者はまさにそこに挑もうとしている。

「行き過ぎ」の責任はどこに?

ただ、気になるところがある。

筆者も吉野家と早稲田大学に改善を求める署名に賛同した一人であり、署名が集まったのは、社会的関心の高さや、問題を風化させてはいけないとする意識の高さを示すもので、騒ぎたい人が騒いだからではない。署名はこれを発言者個人の問題としてではなく、ハラスメントのはびこる教育環境・労働環境の問題とみている。

ともすれば、炎上にばかり注目して本質を掘り下げない報道のあり方だけでなく、ハラスメントなど人権の問題について改善を求める運動そのものにも「行き過ぎ」という批判が行くことはないか。行き過ぎの責任はどこにあるか。少なくとも後者にはない。炎上で罵声を浴びせたりする行為と、署名運動は別だと分けて考えた方がいい。

「行き過ぎ」と言われるくらいに、それまで当たり前に見て見ぬふりされてきたことが問題。

世の中には「変わろうよ」という声が上がれば上がるほど、「変えまい」とする声も強烈に出てくるという現実がある。内容がどうであれ、批判そのものが悪とする圧力、言葉尻を捕らえた圧力、「権利主張イコールわがまま」と全てシャットアウトしようとする圧力が、変えまいとする勢力から出てくることがある。

変えまいとする勢力にとっては、「過剰コンプラ」かもしれないが、犠牲になってきた人にとっては「過剰」ではなく、あまりにも「ない」ことにされてきたこと、チェックが働いてこなかったことに、やっと声を上げられるようになった、という思いがある。

当事者が声を上げることは大切だと考える。運動を行う側は「過剰コンプラ」とする声が出てきても萎縮しないようにしたい。ただし、批判だけでなく、なぜそのような行いが当たり前に通ってきたのかという点の掘り下げにも注目してもらいたい。

「行き過ぎたコンプライアンス」と言われる時の責任はどこにあるか。息苦しくさせている構造は何か。議論する時には、各々が見ている景色を合わせることが必要ではないか。

障害者雇用が過剰コンプラ扱いされている?

セールスフォース事件の調査報道では、「会社でひどい障害者差別・いじめに遭い、強引に雇い止めされた」と訴訟に発展した問題(企業側は「障害者だからといって特別扱いが受けられると思ったら間違いである」と主張)に加えて、「私も合理的配慮が守られておらず、1日待機状態だった」と語る障害者採用の元社員や、同社日本法人が13年間増員しているにもかかわらず法定雇用率が2017年を除いて未達成で厚生労働省の企業名公表による信用低下リスクを抱えていたこと(2022年5月30日には雇用率を達成していたことが関係者SNSで判明)や、2020年には法律で義務付けられた障害者雇用状況報告を行っていなかった(違反企業には30万円以下の罰金が課されるという罰則規定があるが、実際に罰則が科されたのかどうかは東京労働局は明らかにしていない)、という話が出てくる。

先述したように、一連の問題が起きた背景・原因、過去の判例、専門家の意見、今日の世情の変遷を踏まえて、「こうしていくべきではないか」と見通しを示す、という内容にしていきたい。セールスフォースの事例について、とりわけ外資・国内IT、HRの関係者は対岸の火事とせず、危機感を持ってもらいたい。

ところで、コンプライアンス上、「障害者の法定雇用率を達成すべき」という風潮は、ここ10数年ほどの間にできてきたものだ。それ以前は法定雇用率があっても機能していると言い難く、制度の存在意義さえ疑われる状況だった。コンプライアンスの風潮が高まった結果、働く障害者が大幅に増えたのは確か。

一方で、歪みも出てきている。

例えば、障害者雇用行政を司る厚生労働省は、雇用率を守っていない企業に「障害者雇入れ計画」という雇用率を達成するための行政指導を課し、達成できなかった場合には企業名を公表する、という仕事をしている。それで、企業名公表による信用低下リスクが迫るなか、社内の理解が不十分なまま障害者の採用が進められたり、採用された後に受け入れてもらえない、「1日待機状態」になっている、そしてお互い不幸になっている、ということも起きている。雇入れ計画は雇用状況報告の数字に基づいて行われるので、短期離職者が何人も出ていても障害者雇用訴訟が起きていても対象となる。

日本は事務作業大国といわれる。アドビ社の調査によると、業務時間中に雑務にかける時間の割合を聞いたところ、日本が35.5%と7カ国中最多だった(詳細)。

生産性の観点から言えば、事務や庶務などの間接業務は減らすべきとされている。しかしながら、いま障害者雇用の求人で一番多いのは事務職。実は障害者の求人で大企業の事務職が多くなったのはここ20年ほどの間に起きた変化で、それ以前は中小企業や製造工場での求人が多かった。その背景にはコンプライアンスがある。大企業が障害者を雇わず納付金を払っていると批判されるようになった。それで雇用率達成を目指す大企業が増えた。だが現場には障害者の配属が難しい、それで本来であれば減らしていくべき管理部門の事務や庶務に障害者を回している。そこでは、先述したように「1日待機状態」になる人も出てきている。

最近では、本業に結びつかない福祉農園を契約して障害者に野菜作りをさせている企業も。野菜は社員の福利厚生に回されることが多いという。

こうしたことが経営を息苦しくさせている、だから納付金払っていた方が理にかなっているよね、と考える企業は実は多い、と冷笑主義的に持っていかれることがある。いわば「過剰コンプラ扱い」。これは正しいだろうか。

これらの根本には、企業の現場が業務改善をしない事情がある。現場にDX(デジタルトランスフォーメーション)やD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)を入れるようにしていくことが、いかに重要か。企業の現場の意識が変わらなければ、障害者の雇用が「過剰コンプラ扱い」されてしまうことは避けられないだろう。

社会全体で「障害者の雇用を増やすのが責務」とはいっても、それは「安心安全な職場環境や適正な仕事の内容・量が担保された雇用を増やす」というのが前提だ。

国は、企業の実態を十分に精査せずに雇用率を達成すればいいとするのではなく、企業の上層部や現場で働く社員の意識改革や負担軽減、職場環境改善にリソースを充てられたり、雇用に積極的な企業へのインセンティブが働くような制度設計を一層充実させるべきではないか。

IT化により、障害者が価値を発揮できる業務領域にも、広がりが出てきている。

筆者はまさにその世論を喚起しようとしている。


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