スクリーンショット_2016-01-28_7.22.25

【コラム】環境に素直に順応する人間とはボクのことだと思う。

 ある時、「不満」という壁にぶち当たったとする。

 それは別にどんな時でもいい。人間関係においてでもいいし、もっと物理的なものに対してでもいい。とにかく自分が「不満」という感情を抱いた時に、自分自身はその「不満」に対してどのような対処をするだろうか。

 先日、「俺はいつか運命的な人と出合い、そして結婚するんだ」と、心がディズニーな人と話をしていた。

 もちろんその気持ちを否定する気などないし、そういった心持ちでいられるのは羨ましいことなのである。羨ましいと思っているということは、少なくともボクはそうではないということ。

「そんなの期待していると、結婚なんてできないよ」

とボクは言うのだ。そもそもその友人は彼女だっていないし、(というか彼女にまでその段階を求めているから、なかなかハードルが高いのではないかと思う)とりあえずまずはそこから始めようよ、とボクは言うのだけど、彼の考えは頑ななのだ。

 そんな会話の中で、ボクは自分自身を少し分かったような気がする。

 こんなディズニー心を持っている人とは対照的で、「超現実主義」である、と思うとなんだか切なくも悲しくもなるのですが、これから”夢のない話”をすることにします。

 「A」という不満があった時、僕はおそらくその「A」と受け入れると思うのです。

 そして先に話した友人の場合であれば、「A」を拒否するか、改善するか、とにかく行動に移し、それを改変していく力を発揮するようです。

 「B」という人がいたとしましょう。

 「B」は自分勝手な人間で、どうも自分とは肌が合わない人間のようです。先の友人であれば、「B」を拒否する(付き合わない)か、「B」を根本から変えていこうというエネルギーを使うようですが、おそらくボクは何の波風を立たせないまま、淡々と付き合っていくのではないかと思います。(実際、そういうことが多々あります)

 ボクは「B」が嫌いではないのです。もちろん好きでもないのですが、世の中には様々な人がいますから、自分という人間と合わない人がいるというのは、「もうこれ本当に当たり前のことなんです」

 それなのに、「なぜこいつは俺と合わないのだろうか、私と合わないのだろうか」となってしまうんですね。リンゴが木から落ちるということくらい当たり前のことなのに。

 簡潔に言えば、自分と合わない人とは付き合う必要はないと思う。付き合いを断つことができない関係であれば、浅く付き合えばいい。(おそらく皆さんは無意識に人に対してそういった振り分けをしていると思います)

 ただボクとしては、そういった振り分けをするのだって面倒で、「皆フラットでいい」というスタンスでいます。

 詰まるところ、人は皆何よりも自分が好きです。(これは悪いことではないです。自分に優しくできない人は人にも優しくできないと思いますから)

 それはきっと変わらない事実として、そこに存在しています。だからどういう付き合い方をしたって、結局は皆”自分にしか意識を向けられていない”のです。

 そんなことを言うと、「夢がない」と言われたりしますが、今となっては「それで結構」というスタンスです。実際に僕は現実を生かされている訳ですので、「現実主義」になるのは自然のことだとも思えます。

 僕が夢に逃避するのは、自分が書く小説の中だけでいい。その中では、いつだって自由に振る舞えるのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?