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「直感」文学 *なまたまごやきたまご*

 私は昔、ある一定の時期に生玉子が食べられなくなった。それよりもっと前は大好きだったものが、突然受け入れられなくなる感覚は、どこか人間関係にも似ているように思えたり……、というのは別にどうだっていい。
 生玉子はなぜか、私に〝ひよこ〟を連想させた。そこにあった命をまるっと一つ食べてしまっているみたいな感覚に囚われ、生玉子を食べている自分が猟奇的殺人者にも思えて、どこか気が引ける。ただただ気持ち悪いという感覚もある。あのぬめっとした感触が、どうも馴染めない。それまでよくこんなもの食べていた思えるくらいに、あのぬめぬめした感触は私に嫌な気持ちを抱かせた。
 例外もある。生でなければ問題ない。私はそれが(生である状態)を受け入れられないのだった。焼きたまごなら大丈夫。……焼きたまごは、世間一般で言う目玉焼きのことだ。うちの母はそれを昔から焼きたまごと言った。だから私だってそれが「焼きたまご」であることを疑わなかったのだけど、どうやら「焼きたまご」は簡単には通じないものなのだと、中学生の頃にようやく気付いたものだ。
「ねえ、どうしてお母さんは焼きたまごなの?」
「何言ってるの。お母さんはお母さんよ」
「そういうことじゃないよ。……目玉焼きでしょ?普通」
「ああ……、別にいいじゃないなんだって。実際目玉を焼いてなんかいないじゃない。焼いてるのは玉子よ」
「そういうのはいいって」
「だったらあんたもそんなこと気にするより、英単語の一つでも覚えた方がいいわよ」
母はムカつく人だった。なんだかんだ、私はいつも母に言いくるめられて、母の手の平で転がされていた。何を言ったって言い返されるし、何をやったってやり返される。普通さ、大人だったら受け止める懐の広さを持って欲しいもんだよ。なんて、懐という言葉はどうも母とは似つかない。

「なんかさ、生玉子が食べれなくなったんだよね」
その日の給食には目玉焼き((焼きたまご))が出ていて、私は思わず隣に座っていた亜里沙に言った。
「え?何の話?」
「ん?あ、だから、生玉子が食べられなくなったって話」
「へえー」
彼女の薄いリアクションは、この話に集客性がないことを教えた。
 まあ確かに、どうでもいいことだと思うけど。

 結局、それから約一年後に生玉子が食べられるようになった。というか、私自身が生玉子を食べられなくなっていたことを忘れていたと言ってもいい。気付いた時には真っ白なご飯に玉子はかけられていて、私はそれを美味しそうに頬張っていた。
「……あれ」
なんとなく気付いたけど、生に対するあの嫌悪感は思い出されなかった。そんな一時の玉子嫌い。だからなんだって話。

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