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長編小説『becase』 13

 じれったい。じれったいけど、可愛らしい。愛らしい。すぐ横にいるのに、明るさのないせいで曖昧になった美知の横顔を眺めながら私は言葉を続けた。
「彼が、いなくなっちゃったの」
ゆっくりと顔を上げた美知の目は、やっぱり何にも感じていなかった。ここがもう少し明るかったなら、彼女の目から私はもう少し彼女の気持ちを受け取る事ができたのだろうか。どうだろう。でも、きっとこの場所がいくら明るかったとしても、きっと美知の目は私には同じに見える。私ではない誰か他の人がこの美知の目から何かを感じ取ったとしても、私には感情のない目に見えてしまう事だろう。暗いとか明るいとかそんな問題じゃない気がした。
「……彼ですか?」
「……そう」
私まで、彼女の纏う空気に引き込まれたみたい。自分が発する言葉の端々に自信が感じられなくなってくる。今言った言葉が、本当は自分の言いたい言葉でなんかなかったんじゃないかって思う。彼が消えてしまった事は紛れもない事実であるのに、なぜか、その時私は家でテレビを見ながら私の帰りを待つ彼を、嫌という程に感じていた。何が嘘で何が本当で、どこからどこまでが作り話だったのか分からなくなってしまった。作り話なんか話しているつもりは一切ないはずなのに。
「……どうしてですか?」
ずっと私を見続けている美知が、また言葉を続けた。私の右側から強い美知の視線を痛いくらいに感じていた。それを避けるようにして、私はカウンターの奥にいる若いバーテンダーのもっと奥に置かれている、幾つものアルコールを左側から順に頭の中で読み続けていた。
「……どうしてだろうね」
私は空を舞う白い煙の中にそう言葉を吐いた。煙に乗せて、ずっと遠くへと飛んでいってしまえば、この「どうしてだろう」という気持ちも軽くなるような気がする。どうして、どうして、って考える度に、彼の笑った顔とか泣いた顔が頭を過り辛くなる。出口も明かりもない暗いどこかを這い回っているような気分だった。
 ようやく私から視線を外した美知が、また自分の手元を見つめていた。店内は相変わらず暗いまま、バーテンとアルコールと美知以外のものはやっぱり見えない。私たちの座るカウンター席から少し離れた所に人が座っているのは分かる、そしてその人が真っ白なボタンダウンのシャツを着ている事も分かる、でもそのすぐ近くにあるその人の顔は真っ暗な闇に溶け込んで、いくら目を細めて注意して見ても、その輪郭さえ分かりそうになかった。

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