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長編小説『becase』 31

私はそんな事分かっているくせにまた彼に抗議する。結局いつも私の思っている通り、彼が私の意見に賛成する事なんてないし、抗議する事自体に喜びを感じている訳でもないけど、それでも、一応は言ってみるのだ。
 こうなってくると、私が本当に欲しいのはもっと可愛いティーカップなのか、紺色と薄い緑色をした湯呑みなのか、はたまた彼の私を諭すような言葉なのか、もうどれも欲しいようで、どれも欲しくなんてない気がしてくる。

 湯呑みが二つ入っている紙袋は、その袋に入れられた所から、家に帰って袋から出されるまで彼がずっと持っていた。湯呑みを買った後も、キッチンに必要な包丁やまな板を見たし、家具の売っている店に行き、ソファに二人並んで座ってみたり、ダイニングテーブルにお互いが向き合うような形で座ってみたりもした。
 いろんな色のカーテンを見たし、いろんなやわらかさの布団を見た。冷蔵庫や洗濯機や電子レンジも数え切れない程見た、そんな長い一日だったけど、彼がその紙袋を一時でも離す事はなく、右手を使いたければ左手が持ったし、左手を使いたければ、右手がその袋を持っていた。とにかく、その袋が地についたのは、もうすぐ引き払う事になる彼の六畳一間のアパートの中に置かれている小さなテーブルの上だった。
 その湯呑みの入った袋は売られていた場所から彼の家のテーブルに行き着くまでのあいだ、ずっとどこかが彼とくっついていたのだ。私はそんな茶色い紙袋に少しだけ、嫉妬の念を抱いて、彼の家に着き、彼がテーブルにその紙袋を置いた瞬間に後ろから抱きついた。

「え?」
彼は少し驚いて、そう言葉を漏らした。私は何も言わず、彼の背中から伝わる小さな鼓動の音に耳を傾けている。

「何?どうしたの?」
彼の声はいつもより優しかった。彼の優しくない声なんて今まで聞いた事なんてなかったけど、その時の声は、それ以上に優しいものだった。

「苦しいよ」
彼はそう言って、体に巻き付いている私の腕を解こうとして、私と手を重ねる。私が手に力を入れると、彼のお腹の薄い肉に指が沈んだ。

 それから彼は何も言わなくなった。私の手をもう解こうともしなかった。私は彼に後ろから抱きついたまま、彼は伸びた腕をだらんと下に垂らしたまま、お互い何も言う事のないまま、ただ時間の経過をゆっくりと噛み締めるように静かに呼吸を繰り返していた。

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