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夫婦の名前と性別と姓についてのひとりごと

日本の戸籍制度に合わないことをするといろいろ厄介です。今日はとてもプライベートなことを書いてみたいと思います。

わたしは結婚する時、江藤の姓をゆずりませんでした。夫は名前を変え、江藤になりました。その時夫の言った言葉が忘れられません。

「俺は親父の喪主になれない。」

その時はあまり深く考えず、確かにそうだなあくらいだったのですが、一昨日義理の父が亡くなって、実際喪主は弟でした。もちろん法律上は誰が喪主になってもいいわけです。

でも、親戚で事情を知らない人が来たときに、なんで江藤なのかと気を悪くする人もいるということを踏まえ、そうしたようです。長男だし、やはり喪主をしたかったのだろうと思いますし、わたしには到底理解できない悲しみや苦しみがあるでしょう。

一方で江藤家はどうかというと、もし父が亡くなった場合喪主を務めるのは長男である弟です。わたしは江藤で兄弟で最年長ですが、女性だからです。個人的には複雑な手続きは嫌いなので弟がやってくれたらありがたいですが、それが一般的なようです。遠く離れた地に住んでいて、いざという時どうするのか、ちょっと考えておかねばなりません。

「お前にその印鑑はやらない」

そもそもなぜわたしが江藤の姓にこだわるのか。それにはいくつか理由があります。一つは祖父の言葉です。父の実家であるとき立派な水牛のつのでできた印鑑が出てきたときに言われたことです。

とっさに、女は嫁いで名前が変わるからという理由でそう言ったのです。弟とわたしは年子で、小さい頃からわたしがいわゆる男勝りで、何でもよくできました。弟は色白で可愛らしく、男女を間違えられるほどでした。わたしがどれだけ頑張っても、結果的には男性が上なんだなと小さい頃から刷り込まれた気がして嫌でした。

結果的に、論文の名前が変わるのが困るなどいくつかの理由をつけて結婚してからも江藤のままでいます。名前って不思議です。そして男女って不思議です。

ちなみに、親と同居している息子夫婦は褒められますが、娘夫婦は「楽でいいわねえ」なんて言われます。どうなんでしょうね。

「死んだら墓はどうなるのか」

今日の最大の疑問です。義理の父のルーツである四国にはもう墓がありません。義理の弟夫妻は新しくお墓を作ろうと考えていると話してくれました。その墓は今までの人たちも入るのか、それとも義理の父からなのか。そういうことって普段考えないので、いい機会をもらいました。

ちなみにわたしと夫は江藤の戸籍でもなければ夫の側の戸籍でもありません。婚姻届で名前のチェック欄にはわたし側にチェックしたのですが、戸籍は夫の戸籍である堺市の住所を書きました。そこで発生したのはどちらでもない、新たな戸籍です。というわけでどちらの墓にも入れません。少なくとも慣例上はそうなります。

最近、父のルーツである大分の墓があまりにも不便なので、墓を移そうかという話が出ています。わたしも子供たちも祖父母の墓参りが好きなので、反対していますが、実際のところ今後そう頻繁に行けるかというと難しく、悩むところでもあります。

わたしは義理の父が大好きでした。夫が名前を変えるという時点で、普通なら大バトルになるはずです。なのにそれに関しても寛容で理解を示してくれました。その後も、子どもの誕生会は毎年開いてくれていつも優しく、朗らかな方でした。そんな義理の父は息子たちもきっと同じ墓に入って欲しいと思うのですが、今のままでは難しいでしょう。

例えば、どちらの姓も使わず、新たなコンセプトの墓を建てればいいのかもしれません。

さいごに

16のときに遺書を書きました。そのときに、位牌は由布岳に撒いてくれと書いた覚えがあります。わたしの父のルーツである大分の山です。

親戚が一心寺に入っているので、そこもいいなと思ったり。よく死ぬことはよく生きること。今日の生を大切に、でも亡くなったときのこともちゃんと考えておきたいものです。

明日は淡路島。故人が大好きだった海に写真を持っていって、一緒に撮ってくる予定です。




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