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日本語で、そして文法用語でしか説明できない英文を教えることが授業だ?

英語の試験問題を英語で作るのって先生だけですよ!授業英語でするのって先生だけですよ!テキストが英語ばかりだから勉強方法が分かりません。

出だし、ポジティブなコメントだと思いませんでしたか?そうでもないんです。もちろん生徒からのフィードバックを見ても授業中の様子からしても授業は楽しく受けているし、今までできなかったことができたり、自分の学びへの態度が変わって嬉しい、というものが大半です。今の日本の英語教育全体を批判するつもりは毛頭ありませんが、なぜか当たり前のことをやっていて批判を受けるということが日本では頻繁に起こります。

何が問題なのでしょうか?周りの先生に聞く限り、多くの学校で似たような問題が放置されています。今日はかなりの長文です。

日本語で文法用語を使って解説する「つもり」授業

日本では英語を日本語の難しい用語を駆使して教え、生徒がノートにそれを書き写してテストまでに暗記する授業形式が定着しています。それは知る限り太古の昔から今までずっと。特に高校では「入試」があるからという意味不明な言い訳をしてこれがまかり通っています。

残り時間は準拠の問題集を解かせ、出版社の入試向け問題集を解かせ、書き写す力と、運がよければ問題を解くことができるようになります。しかし、それでできるようになったのは先生が学生時代のこと。目の前の生徒の向き不向きを無視して先生がやりたい授業が続きます。

それを「つもり」授業とでも呼んでおきましょう。教えた「つもり」、勉強した「つもり」。(ちなみに「つもり」授業では入試問題も解けません、と断言しておきます。)

エビデンスを軽視した教育

毎年、なぜか同じ問題集と教え方が踏襲されていきます。特に高校では、多くの学校で理由もなく、去年やった問題集、去年買わせた単語帳、去年作った小テスト計画、そして使っていた教科書が「下ろされ」ます。

生徒は去年と全く同じなんでしょうか?去年の授業でやったことで生徒に力はついたのでしょうか?根拠はあるのでしょうか?その模擬試験の成績、ちゃんと分析したのでしょうか?もしかして見てもない?いや、そもそもめあてもなかった?

脳科学的に効果のあることは大人の学びでは比較的話題に登りますが、学校ではほぼ聞いたことがありません。例えば、認知スキルの偏りは、ほぼ全てのテストが文字のみでフォントも先生の好みで決まるという時点で見事に無視されています。

「英語はできるようになるはずがない」という思い込み

結局、保護者も生徒もどこかで信じていること。それは、英語は難しいからできるようにならないという思い込みです。特に、話すことについては特別な英会話学校に通うか留学しないと身につかないといわれて来ました。留学などしなくてもバイリンガルのような他言語を話す人はいくらでもいます。

そもそも、第二言語の習得を母語で行っている気持ちの悪いやり方は世界で見ても稀です。日本語の説明は必要ではありますが、日本語しか使わない英語の授業ってどうなんでしょうか?

間違うのが怖くて仕方がない

正確性より流暢さと言われ出して久しいのですが、実際現場はどうでしょうか。先日中1の息子が英語の小テストを受けました。fishのfが少し短いと言うことでxになっているのを見て目を疑いました。なぜなら、前週のアルファベットのテストでもfは短かったのに正解になっていたからです。

つまり、先生も自分で何をやっているかわからないくらい正確性に偏った授業をし、評価をしているのです。中学生からその調子だと、高校に来る頃には何一つ口から出したくない、先生の答えを聞くまで書きたくない生徒ばかりになります。授業で英語を話すと言っても、間違えるのが怖いと言う意識が先に働き、「わからない!」を連呼して困ったふりをするようになります。

文科省はなんと言っているのか

日本の教育が悪いのは文科省がダメだからだ!と言う人もいます。私はそうは思いません。皆さんは学習指導要領を読んでいるでしょうか?こちらは平成30年度告示の指導要領です。

文法については繰り返し、正しさのみを強調するなとの記述が。

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あくまで、実際の使用場面を意識して教材もデザインするように書いてありますね。

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実は、随分前から文科省は英語はあくまで使いながら学ぶものであり、文法に拘らないよう何度も繰り返しているわけです。

では、なぜ日本語で説明しないとわからない文を扱うのか

私の推論ですが、先生の「ええカッコしい」が問題の中心にあるのではないでしょうか?洋書と比べると一目瞭然です。日本の教科書はそもそも文章が異常に難解で、コミュニケーション英語ですら扱う文法事項や熟語の羅列はかなりの量になります。

例えば、洋書であるQ:Skills for Successではかなりのレベルの議論をする構成になっていても文法は中学レベルの不定詞程度です。でも日本でそんな教科書を使ってみると必ず「では単語帳も買わせましょう」「副教材で文法を補いましょう」「これでは模擬試験に間に合いません」「英検に通りません」と、もはやなんのため誰のための教育かわからない。

これは高校2年1学期の検定教科書の本文です。こんな文章で表現しないといけないのでしょうか?このレベルだとさらっと読み流してリテリング、とかここから理解して英語で議論に至るまでに多少説明が必要です。4技能での運用なんてできるのか・・・(やっています。それはまた次回!)

Do not misunderstand. I am very aware of the importance of building typing and computer skills, too. If we had never learned computer skills in school, I would undoubtedly find writing this article to be far more difficult, and I’d probably have no idea how to interact with that strange box-like apparatus taking up space on my desk. Thankfully, this is not the case; I know how to turn the computer on and off, and with some guidance, I can usually write and edit my papers with the word processing application.

ちなみにかつての生徒たちはNew York Timesを全員定期購読させていたのですが、「なんで高3の教科書はNYTより難しいん?あんなん意味あるん?」と言っていました。

きぼうの光

とはいえ、そんな学校・先生・授業ばかりではありません。最近は現場の先生がSNSやブログで発信したり、オンラインで研修をしたり、本を出すとことが増えました。15年くらい前と比べると、状況は異なります。

そんな先生たちの話を聞いていると、学校は急激によくなっていると感じるほどです。彼、彼女たちが緩くつながりながら、より良い学びの場を作って行きますし、そんな先生のことを私も応援しています。

さいごに

このブログを件の生徒たちが読んでいるかもしれません。私は主張したい。英語は使いながらでしか身につきません。そして、教材も評価もそれに合わせたものにするんです。

心配しなくても今までの生徒たちも、楽しみながら英語を身につけてきました。前回のクラスは2年でTOEICのスコアが平均で300アップしました。だから、信じて来週も楽しくやりましょう!みんなに会うのが毎週楽しみでならないから!

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