『民俗世界地図』『すてきなあなたに』『寄席はるあき』を読んで。他者との違いを認識しながら、気の合う人達と 「丁寧に生きる」。

手軽に買える桃の缶詰が、食料品棚の片隅にで
もあったなら ―――
フライパンに汁ごと取り、温める。温まったら
取り出して、残った汁を煮立たせ、苺のジャム
をスプーンに三杯ほど入れ、コーンスターチを
溶いてとろみをつける。温まった桃に、このソ
ースと、お好みによりブランデーをスプーンに
1、2杯かける ―――
          〇
缶詰に一手間加えただけの簡単なデザートなの
だけれど、家族や友達など、気の合う人達に囲
まれて、この〈ホット・ピーチ〉を食べられる
ような生活。「丁寧に生きる」と言う事ができ
たなら、やっぱり、幸せなのでしょうね。
          〇
新聞社の海外特派員を永年勤めていた浅井信雄
と言う人が書いた『民俗世界地図』を何度も読
んでいるのですが、民族と言うものを定義する
難しさについて、多角的に論じてあって、一つ
の原則を基に、地球上のあらゆる民族紛争に対
応できる程、現実の世界は単純ではない、と言
う事がよく分かりますね。民族意識の内の一
つ、「他との違いを認識する事」から紛争が起
こるのだとすれば、民族意識のもう一つより大
きい要素、民族集団の必要条件だと思われる
「同質性」は、他者との対立より、気の合う仲
間達といかに生活して行くか、と言う事になる
のだと思いますね。
          〇
例えば、先進国の一員として安定を誇るかのよ
うに見えるカナダでも、自主憲法を持ったのは
1982年(エリザベス女王を元首とする英連
邦内の主権国家としての位置から自治を獲得し
た1867年から115年後)の事だそうで、
その最大の要因には、その憲法にケベック州が
参加を拒んで来た、いわゆるケベック紛争があ
ったらしいのです。英語圏住民の主導体制下
で、フランス語系が80%程も占めるケベック
州。18世紀、北米大陸で新しい富と好機を探
索していた英国とフランスの冒険家達。今日の
カナダ領土を舞台に、何度も戦いを繰り返し、
1759年、ケベック地方のエブラハム平原の
わずか15分の戦闘で、英軍は仏軍を破ったら
しいのですが、それが英系と仏系の長い長い反
目の始まりとなり、他民族国家となった今日
も、総人口の圧倒的多数がフランス系であると
考えられ、例えば、2006年の国勢調査で
も、30%程の人が、自身をフランス人だと回
答しているそうですね。
          〇
ケベック州はカナダの一部であり、ケベック住
民もカナダ国民であって、勿論フランス国民で
はないのですが、ケベック紛争が燃え上がる度
に歴代の仏大統領は「ケベック住民の安全に深
い関心」を表明し、ケベックでも楓の国旗より
ブルボン王朝の紋章・ユリの州旗が目立つのだ
とか ―――
          〇 
憲法とか国家とか国境線の概念などよりも、無
意識に近いような状態で、気心の知れた仲間と
の生活を重視している ――― 後付けの理論よ
り、本能が上回っているような、人間の本質に
関わる、根源的な問題なのでしょうね。
          〇
アメリカでも、従来の名称に代えて、人間のア
フリカ根源説に基づき、アフリカン・アメリカ
ン(アフリカ系米国人)の呼称を広めようとし
ている運動がありますね。それもこの同質性の
概念が間違いなく関わっている筈ですね。
          〇
米国社会を揺るがしている要因の一つに、ヒス
パニック系(スペイン語系)市民と、このアフ
リカン・アメリカンとの競合がありますね。
米国統計調査局のデータでは、現在、アフリカ
ン・アメリカンとヒスパニック系の数が逆転
し、ヒスパニック系が上回り、2050年頃に
は、何と、ヒスパニック系の人々が現在の2倍
近くに膨れ上がると予測がされていますね。
          〇
この本が書かれた1990年代初頭から、現在
までの米国社会の経緯を大まかに辿ってみる
と、ヒスパニック系の台頭に絶えず過敏にな
り、既得権益を奪われないかと怯えながら、湾
岸戦争に貢献したにも関わらず生活が保護され
る事もなく、イラク戦争に加担する決定をした
過程への不満も積み重なり、アフリカン・アメ
リカンのあらゆる感情が、従来の暴動とは違う
形となってオバマ前大統領に向けられ、そし
て、その反動として、極端な白人至上主義が顕
在化し、現在のトランプ大統領を生み出してし
まった ――― と言う感じですかね。
          〇
オレンジを皮ごと薄く輪切りにしてシロップ漬
けにしたもの ―――
オレンジ二個をよく洗い、たっぷりのお湯で丸
のまま茹でる。小皿で落し蓋のように押さえて
おく。時間にして水から20分程。その間にシ
ロップを作っておく。グラニュー糖をカップ一
杯半、水をカップ一杯、中火に掛ける。かき混
ぜないようにして、下から泡が立ち、煮立って
透き通って来たら、火を止めて冷ます。茹だっ
たオレンジをお湯から上げ、冷ます。5、6ミ
リの厚さに切り、口の広い大き目の瓶に入れ
る。冷めたシロップを上から注いで蓋を閉め、
4、5日、冷蔵庫に入れておく。皮も柔らか
く、シロップの甘みの中にほろ苦さもほのかに
残っていて、特に紅茶に合うらしい ―――
          〇
冒頭に書いた〈ホット・ピーチ〉や、この〈オ
レンジのシロップ漬け〉を始めとして、一手間
加える事やコツコツ積み上げていく事、手仕事
の大切さ、その根底にある「丁寧に生きる」と
言う事の意義深さを感じさせてくれた『すてき
なあなたに』――『暮らしの手帖』の〈すてき
なあなたに〉と言うコーナーに載っていた文章
を集めて一冊の本にしたものだそうです―――  
をこの『民俗世界地図』と同じ時期に読んでい
たのですが、何だかんだ言っても、紛争に直接
巻き込まれる事もなく、(割合、平穏に)暮ら
せている今、この日本社会と言うのは、とても
幸せなのではないかと、思わずにはいられませ
んでした。
          〇
晴天の日曜日、モード雑誌を読みながら、お気
に入りのテーブルクロスに替えて、ミルクたっ
ぷりの紅茶を飲み、焼きたてのトーストに、缶
詰のオイル・サーディンを温めてレモンの汁を
掛けたものを食べ、午後にはもう少しおめかし
をして、友達と約束していた音楽会に行く――
時間とお金の使い方、趣味嗜好によって、休日
の過ごし方と言うのは人それぞれ違うのでしょ
うが、望みさえすれば、こう言う時間を過ごす
事ができる、こう言う暮らしを選択できる(比
較的、選択しやすい)日本社会と言うのは、改
善すべき点が幾つかあるのだとしても、やっぱ
り幸せなのだと、そう認めるべきではないので
しょうか。
          〇
柳橋、品川、向島、上野・清水観音、吾妻橋、
王子、厩橋、雷門、蔵前、吉原、両国橋―――
下足番のいる寄席、下座さんが障子の桟の間か
ら舞台を窺い、前座が太鼓を叩いている―――
古今亭志ん生が晩年暮らしていた東京都荒川区
日暮里。坂の下、赤や白や黄色いのぼりや旗を
立てて、春夏秋冬、いつでも大安売りをしてい
るような賑やかな商店街を抜けて、車も入れな
いような細い路地の一角。盆栽の鉢がいっぱい
並んでいて、ひょろっと柳の立っている家。
          〇
もう一冊、安藤鶴夫の『寄席はるあき』を読ん
で、「丁寧に暮らす」と言う事の大切さが、僕
の中では確信に近いものへと変わりました。
1968年、と言うより昭和43年、と書いた
方がぴったり来るような、東京の寄席や落語の
舞台になった場所に関する事柄 ――― 文章も
写真も、感慨深いものがあったんですよね。
          〇
ニュース映像か何かで見たのか、日本で生まれ
育った人間として、遺伝子レベルでどこかに組
み込まれているんでしょうかね。読んでいるだ
けでも「懐かしい」と感じてしまうような、そ
んな風景であり、情景なんですよね。
(寄席へ向かう路地、石畳の上にしっとりと水
が打ってあり、今の冷房装置より涼しく感じる
ような気さえして ―――)
打ち水が似合う夏には、近所の友達も大抵誰か
に連れられて来ていて、紙屋の武ちゃん、茶菓
屋の直ちゃんと言う男友達や、糸屋のお信ちゃ
んだの清元の師匠の娘のお栄ちゃんなどと言う
女の子まで集まっていて、こっちから葡萄餅を
持って行くと、向こうから薄荷糖をお返しに貰
ったり ――― 自分の家の暮らしの延長、居間
みたいだったんでしょうね。
          〇
今、と言う時代の良さ、それは十分に認識して
いるつもりなのですけれども、やはりどこか羨
ましくなるような風景、情景ですよね。
          〇
様々な民族の時代と同質性を、歴史も踏まえて
分かりやすく説明してあった『民俗世界地図』
季節の移り変わり、街角で起こった出来事の断
片などを、見逃さずに大切にしている『すてき
なあなたに』や『寄席はるあき』の世界。この
日本、東京とその周辺、アメリカやカナダのよ
うな西側諸国、アラブや中国の自治区のような
場所 ――― 一見、何の繋がりもないように見
えて、時には、理解の手懸かりもなく、対立し
ているようにも見えるのですが、でもやはり、
多少なりとも理想を持って人が暮らしていくた
めには、その根底に、一所懸命、「丁寧に生き
る」と言う哲学に近いようなものが同じように
流れている、流れていなければならないのでは
ないかと、そう考えさせられました。
 

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