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歳をとることは「変数が減っていく」ということ

ふと思い立ちまして。
なんとなく書き残しておこうと思って書き始めました。

まず、変数とは

ざっくりこんな感じです。

・人生や生活における不確定要素が"変数"。方程式の左側に存在する。
・若いときはその変数が多い。歳を取ると変数は減っていく(=定数になっていく)
・自分や世間の想定は"方程式の右側"に存在する(と仮定する)
・減っていくとは言うものの、全体の変数量はよくわからん。
・若い時と同じ範囲で計算していると、先が見えてしまう(=悲しい)
・方程式がいくつ存在するとか、そういうところまで考えられてません

(えらそうに"変数"とか書いてますが、学生時代は解析学の単位ほとんど取れてないです。)

変数が減るってどういうこと?

変数があると
「その項については未確定なのでどうなるかわかりません」って言えると思ってます。
だから、方程式の右側(=自分や世間のイメージ。なりたい姿とかこうあるべきだ、とか)に対して、変数を変えることでイコールに持っていくことができる。しやすい。

この時、方程式の右側はある程度可変なので、自分のイメージと世間のイメージを擦り合わせる必要はあると思います。それは別の話かな。

若いときって、方程式の右側がなんとなく「自分のイメージ」と違っていても
「まぁこれだけ変数あるしいいだろー」
って思ってしまうところがあるんですよね。個人差あります。

歳を取ると変数が減って定数が増える

そうなると、方程式が成立しないということが発生してきます。

変数が減るイメージとしては
「山の上は景色がいいけど降りてみると寂れた商店街」というものもあります。

方程式を見直しを迫られる

方程式が成立しないことに違和感みたいなものを感じると仮定します。
この時、違和感を解消するにはいくつもアプローチはあると思うんですが
①残された変数を最大限使う
②方程式の右側を考え直してみる
③方程式自体を疑ってみる

例えば「海外で働きたい」という思いがあったときに
①でいけば「海外支社がある会社に入る」とか「ビジネス英語をマスターする」というアプローチで達成できなければ
まずは海外に飛んでみる」ということが変数の最大限活用、だと思います。

②は「今ある変数と定数で何ができるか」という観点を方程式の右側を見直すことを指しています。
「海外で働きたい」を「外国人と仕事できるスキルを身に着けたい」に変えるとか。

③は「そもそも海外で働くのって必要か」とか「国内から海外に影響を与えられないか」とか、②と似てはいるんですが全体として見直すイメージです。

変数が多ければ、式が成立しやすそうに思えます。
言い換えれば、たくさんの変数を決めていかないといけないんですけどね

もともとのイメージ自体が甘いことが多い?

と、ここまで見てみると
「そもそも"海外で働きたい"ってイメージ自体が曖昧」と思えてきますね(笑)
自分で書いてて曖昧だと思いました。
ただ、最初に何かをやりたいときのイメージなんてこんなもんなのかなー、と思ったりしてます。

○○大学に受かりたいとか
○○に住みたいとか
○○について深く考慮できる人間になりたいとか

もともとのイメージを明確に持てる人は、成立性の高い方程式をつくれる、という考えもあるかも。
しかし、甘いイメージで書いた方程式を消すにも、またエネルギーが必要だと思ってます。

若いながらも感じ始めてきたこと

自分自身はまだまだ若いと思いつつも、ライフステージを変えるごとに
「新しい方程式の作成」よりも
「今までの方程式の見直し」が増えてきたなー、と感じてました。
定数が増えてきて、自分のイメージや世間のイメージに対して式が成立しないことが増えてきました。

ただ、「ダイバーシティ(多様性)」という言葉があらゆるところで使われる時代となり、自分のイメージを強く持つことが認められやすい環境になってきたとは思います。これは幸いでした。

手元の変数を大切に

無い物ねだりをしてもしょうがない。
自分でコントロールできることを最大化したり、方程式を見直したりしながら日々を過ごすことが大切なのかなと。
堅苦しくなりたくもないんですが、他人の変数や方程式を羨んでしまう瞬間がまれにあるので、そこには大して価値は無いと改めて考えたい。

何も考えていない瞬間さえ時間を使っているので、有意義な「何も考えない時間」にしたいと思ったり
こうやって人と会いづらいので「今まで出会ってきた人をもっと大切にしよう」と思ったり

なんかそんなことを思いました

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