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自己客観性

今回は「意識」の話を。この著書では、意識の量を増やすには「客観的な見方」が大切になる。それはサッカーにおいても重要なことだと感じる。

「視野が広い」という言葉をよく使うが、そのような選手はみな「意識量」が多い選手だと思う。それはピッチでも、ピッチ外でも…そしてこの意識が活躍するためや、エンターテインメントとしてのサッカーを楽しませてくれる要因にも感じる

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■自己客観性

興味深い部分を一部抜粋して話していく

意識の量を増やして他人への 配慮 ができるようになると、自己客観性もついてくる。そのことによって、自分の中で負の思考回路をぐるぐると巡ってしまうことがなくなる。要するに、つまらないことで悩むことが減る

以前のブログでも話したが、自分のことを客観的に見れないと海外でプロサッカー選手として評価されたり、長くプレーを続けることは難しいように感じる。

国を跨いだ違いを意識、矢印を自分に向ける意識、責任の範囲を意識。この3つは全て「自己客観性」が全て大切。自分が求められてる事、立場や状況、何が快で不快か。色んな事を考え、意識することができるはず

この「意識」があることで今の自分に目を向ける、そして不要に悩むことが減ると思う。大体の悩みは自分のエゴやプライド、未来に期待し、過去に執着するから。意識の量を増やし、正確に自分を見つめ、マインドフルに。その結果が選手として価値を上げてくれる要因になると僕は思う。

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意識の量が多い人は、普段から「日常には複数の不測の事態が起こるかもしれない」とわかっていて、直近の未来を予測しながら現在の行動を決めている。意識の量が少ないと、「いま現在」にしか意識が向けられないし、決まりきった答えを暗記することしかできない

海外では常に予測不能な事が起きる。それはポジティブなものも、ネガティブなものも。その出来事に対して怒ったり、不満に思うことがあると思う。ただそれももしかしたら上記では話した「自己客観性」を持てないためかも。

不当に扱われたと感じた時に「こんだけ結果だしてるのに」「あいつより良いプレーしているのに」と自分で勝手に自分を評価したり、他人と比べてしまい、自分に意識を向けれなくなってしまう。

これも「意識の量や質」が低いからと感じる。

「客観的」に自分を見つめていれば、予測不能な出来事も予想し、対処方法を意識してるはず。プレーにおいても、機器察知能力が高い選手は「意識の量」が多いはず。

意識の量を増やし、自己客観性を高めることがサッカー選手としての価値を上げることに必要。

次回はエンターテインメントとしての意識の話を。また

川畑悠吾
1994年生まれ(25歳)/東京都出身/海外プロサッカー選手/メンタルアドバイザー資格保持/全米ヨガアライアンス(RYT200)保持/サッカーをメンタルやヨガ哲学から考える『哲学とサッカー』無料マガジン公開中

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