私の呪いをほどく

中学生の頃、帰り際に唐突に「○○(私の名前だ)が一番かわいいと思ってる笑顔が一番ブサイクだからw」と、幼なじみの女に言われた。

私はこいつのことを意地でも友達とは呼ばない。幼なじみだ、ただの腐れ縁だ。前後の文脈は本当に覚えてない。本当に関係ないもので唐突に言われたと私は思っているけど、この発言があまりにも衝撃で全部吹っ飛んでるのかもしれない。

私は小学校の頃からまあ可愛いと言われることは無かった。公に虐められることはなくとも、チクチク刺すようにブスとは言われていた。あと、年齢の割に体格が良かったのでデブとも言われていた。女にも、男にも。あいつらマジでろくな死に方しないで欲しいな。

そういう呪いが幾重にもかけられて、私は自分を着飾ることが非常に恥ずかしいと思うようになった。

痛々しいオタクだったというのもある。アイドルにキャーキャー騒ぐ同年代を横目に、現実なんて馬鹿らしいと冷めた目で見ているのがかっこいいと勘違いしていた。

今は2次元も3次元もあまねく推しがいます。好きなものがこの世に多いって、最高。世界がもっと良く見えるようになった。

だからあの頃、私は着飾るのは恥ずかしいと思っていた。あの女の子たちみたいに、色気づいてばかみたい。そう思うことで自分を保っていた。

この呪いはまだ解けていない。

でも大学生になって、二年の冬休み、春休み、コロナ休みと家にこもり続けた結果、私は若干前向きになっている。からまった呪いを少しずつほどきだした。

それはTwitterがきっかけだった。ジャンルに言及はしないが、大学生の私よりも年上の人が多い場所だった。彼女たちは皆それぞれに、好きな服を買って、新作のアイシャドウをRTして、ネイルをして、髪を切って、海に行ったり映画に行ったり、そして二次創作をしていた。

私は、最初彼女たちが羨ましかった。そして次第に、彼女たちともしイベントとかで会う時──恥ずかしい自分で会うのは嫌だ、と思った。

これだいぶ後ろ向きな理由。まだ全然呪い解けてません。

だから、まずは好きな服を買った。花柄のワンピース。今までそういうの、買ったこと無かった。好きなイヤリングも買った。どこかに出かける日はこれ!というセット。それを着ている間だけは、自分が少し好きになれた。だって、おしゃれで可愛い気がしたから。

好きな服を買いました、と顔は隠して服の自撮りをTwitterにあげた。素敵だ、と褒めてくれたフォロワーさんがいて、私は無性に泣きたくなった。

本当は私もおしゃれして可愛くなってみたかったのだと、そろそろ気付いてきた。

ずっと私みたいなブサイクがおしゃれなんて、メイクなんて、服選んでも意味が無い、変じゃなければいい。そうやって思って生きてきた。だって私はブサイクで、街に出れば罵られておかしくない醜い人間で、おしゃれする価値なんてどこにもないから。

そうして一年が過ぎたが、結局私は一度も大学にメイクはしていかなかった。周りがおしゃれな服を着てメイクをする中、私は精一杯まあおかしくもないだろうという服を着て、すっぴんにメガネで登校した。ちなみにピアスは開けた。

それがおかしいとは思わない。変でもない。どこにでもいる、大学生のひとりだったと思う。でもいつだって強烈な寂しさ、疎外感があった。私は結局、私の姿を受け入れられていなかったのだ。

人混みだらけの食堂で、一人でご飯を食べられるほど強くもなかった。広い図書館の、誰もいないくらい上の階の、端っこの席で本を読むのが好きだった。

大学2年になり、休みから延長してコロナウイルスの騒動で全く学校に訪れない日々が続いている。外出自粛で、バイトや買い出し以外ではほぼ外にでなかった。

誰にも会わないということ。同年代の周りの女の子と比べなくていいということ。学校という人の多い場所で、視線に怯えなくていいこと。何もかもが、楽だった。

そして私はダイエットを始めた。

誰とも比べなくていいからだ。誰のことを見なくてもいいからだ。それにこんな長い休み活用するしかないと思った。一番の理由は、来年成人式があるからだけど。


一人暮らしというのは、自由がある。

気になった口紅を通販で買っても、痩せるための筋トレをしても、自分のための食事制限のメニューを組んでも、何もかも自由だ。

実家暮らしになれていた私にはほんの少しの寂しさもありつつ、人生で初めての自由を少しずつ謳歌している。

もっと自主的に、今は、かわいくなりたい、と思っている。かわいくなりたい、というか、自分の望む自分になりたい、と思っている。

結局自分の顔は好きじゃない。

狭い額、重たい一重まぶた、短いまつ毛、目の下のクマ、毛穴だらけの鼻に皮を剥ぎすぎてボロボロの唇、脂肪のついた頬。なに?エラはってる?この輪郭。

いやもうほんと、鏡見る度に泣きたくなるくらい嫌い。ごめんね両親。

身長ももう少し欲しかった。めちゃくちゃ高いわけでもないけど、普通よりは高い。微妙だ。

でも、屈むと三重になったお腹は今はならなくなっている。前までキツキツだったパンツが、今は余っている。顎も二重にはならないし。

自分は努力をしている。行為からやってくる自信が、私を少し前向きにしている。

自分を可愛がるのは、悪いことじゃない。おしゃれしたいと思っても変じゃない。メイクしてもいい。変わりたいと思って何が悪い。

あとマスク。顔面隠して生活できるの、結構、いやすごい気が楽。おかげで性格まで前向きになってきた。明らかにバイト先の人達と話せるようになってきた。それは昔投げつけられた呪いの言葉に起因していて、相手がこちらを見ている時どうしても緊張するのだ。私の笑顔、変じゃないかな、と。気持ち悪い顔で話しかけて、ごめんなさい、と。

でもまあ今は、顔面のことを気にしすぎなくていいから好きな服を着ようと思えた。私は好きな服を選ぶようになった。好きな服より似合う服がいいってのは変わらないけど、好きな服を着れるようになりたいと思える。

ダイエットをしていると、不思議と服にも興味が出てきた。

メイクだって好きにしていい。まあ、だいたいマスクで隠れてるし……。

メガネをやめてコンタクトも付け始めた。目が疲れるからあまり好きじゃないけど、メガネが似合わないのもコンプレックスのひとつだったからかけなくていいのは嬉しい。

誰かにどう思われるということではなく、まさに武装。私が、私のテンションを上げて生きていくことが出来るのだ。

誰かのためじゃない。

だって、買い出しとかバイトの時はメイクしてないし……(しなくていい職場なので)。

今は成人式に向けてダイエットを引き続き頑張っている。昔馬鹿にしてきたヤツらを見返すとかそういうのは特に思ってない。見返せるほど痩せられるとも可愛くなれるとも思ってない。

ただ、もう怯えなくていいように、前を向いて話せるように、私は私でおかしくないんだと、誰も私の容姿を馬鹿にする資格は無いのだと、まっすぐ立って歩けたならいい。

まあ、コロナのせいで開催されるか微妙なラインですけど。

一番かわいいと思ってる笑顔が一番ブサイクだからw

そう言い放った女と、1週間後くらいに会う。腐れ縁の幼なじみは他にも数人いて、夏休みの機会に少し会おうという話になっている。

私があなたの言葉にこんなに苦しめられているのなんて、どうせ知らないんだろう。呑気に笑って生きて、飯を食って彼氏と付き合ってセックスして、何食わぬ顔で生きてるんだろう。

私がダイエットしてると言ったら笑うかな。

その時こそ、あの時の私が出来なかったことをしてやろう。

握りこぶしでぶん殴る。我慢とかいいや。ありったけの怨嗟を込めて、復讐してやりたい。

それだけ!

こわくない!会うの、こわくないよ!


おわり


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