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ハワイアンブルーの憂鬱

 ハワイアンブルーの憂鬱を、僕は信じない。ハワイアンブルーのような不可変の真理が、きっと、この世にはある。あれは、水縹色の空が一面を覆いつくしていた炎暑の日であったと思う。

 大学二年生の僕は、漠然とした不安と闘い続けていた。この悩みは、僕の慕うある先輩が、就職活動に勤しみながら、社会との遭遇によって生じる「自己」と「自我」の相克を哀しそうに、こんな言葉にして、僕によくこぼすようになったことが引き金だった。
「なあ、修二。したいことって何だろうな。自分は、それは、単にしたいと思わさせられていること、したいと思い込んでいることでしかないんじゃないか、と最近考えるんだ。」
 僕には、純粋に、そうしていたい、と思えるものがあるのだろうか。それまでは、あまり素直に向き合おうとしてこなかった問いであるから、脳裏に浮かぶ言葉の欠片たちは、一体をなすこともなく、破片のまま散り散りになるばかりであった。そんな時のことである。

 僕は、北海道の小さな村にある寺の出身であることがわずかながら影響して、大学進学を機に上京してからは、東京にあるお寺を、仏像のガイドブックを片手に、休日になっては巡ることをひそかな楽しみとしていた。寛永寺の薬師瑠璃光如来や、増上寺の木造阿弥陀如来坐像などは、特にお気に入りで、どちらも、妙逸な光量が手招きし、その閉じられた瞳の中に忍び込んでみたくなるような静謐ながら魅力的な精神世界の端緒を感じさせてくれるのであった。そうした仏像巡りが、先ほど述べたような悩みもわずかながら、忘れさせてくれた。僕が僕を足らしめるには、必要不可欠な習慣として、仏像は僕の日常に溶け込むようになっていた。

 次は、調布市の深大寺に行くことに決めていた。何といっても、歴史的にも、また造形的にも、ミステリアスな雰囲気を孕んだ白鳳釈迦如来像、いわゆる白鳳仏が、高揚感の核にあり、その感情の高まりを抑えることができなくなった僕は、何の躊躇いもなく一人暮らしの散らかった部屋を飛び出して、僕の住む京王線中河原駅周辺から約五十分かけて、深大寺へ向かった。調布駅に着いたのちは、武蔵境通りをまっすぐ徒歩で北上しながら深大寺入り口と呼ばれる交差点を右に曲がると、朗らかな木漏れ日を受ける深大寺通りがうねりながら伸びている。看板に従いながら、しとしとと歩みを進めていく道中、通りでは、たくさんの蕎麦屋が軒を連ねており、涼しげな風鈴の音が心を掬い取る。しかし、それは白鳳仏に向けられた高揚感に優越することはなく、御品書きを一瞥しつつも、深大寺の山門まで一心に歩を進めた。山門をくぐり、境内に入ると、僕の視界は、種々雑多な緑の反射光に照らされながら、奥に、荘厳で質素にも見える本堂を、右手には、物寂しい鈍重な
鐘楼を、そして、左手奥の釈迦堂には、お目当ての白鳳仏がある。畏怖と狂喜の念を抱きながら、釈迦堂に向けて、そぞろ歩きで境内を左回りで進んでいくと、心そそる歌碑が僕を捉えた。清水比庵という人物の歌らしい。

「門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや」

 この歌碑の背後から、湧き上がる水の音と道行く人に声をかけるお蕎麦屋さんの声が聞こえる。無性に、今すぐにでも、蕎麦が食べたくなった。なぜ、山門をくぐる前にこの衝動に打ち勝ったのか自分でも不思議であった。いや、これは、門をくぐったからこそ、理解できる衝動でもあるのかもしれない。

 そんな一抹の衝動からふと我に返ると、僕の左隣に人の気配がした。興奮の冷めやらぬ様子で、その方向を一瞥すると、僕と同じような表情をした女性が歌碑を眺めていた。歳は同じくらいに見えるが、少女のようなあどけなさがこぼれ出ていた。後ろに束ねられ、切り出された蟀谷からつるりと飛び出した鬢の毛を、木から漏れ出た一筋の光が、黄金のように照らしている。あの輝く可視的な旋律は私の心の中で琴を奏で、追従するように神秘的な充溢を感じた。そんな美しさと、その瞬きの間に消えてしまう儚さとに呆然としていると、彼女は、僕が見惚れていることに気づいたのか、こちらの方にちらりと目を向けてきたので、僕はとっさに、瞳を空の方へそむけた。その日の空は、明るく晴れ渡っていた。そして、そんな青空の中に、あの黄金の鬢の毛が残像となって輝きを与え、心のパレットで混ぜ合わされた僕の視覚は、ハワイアンブルーの清々しい青空に覆いつくされていた。

「蕎麦が食べたくなりますね。」

彼女の声は、ピピピピピと鳴く野鳥のような胸の開けた印象を僕に与えた。

「本当ですね。私には、水の音が聞こえるんです。蕎麦を美味しくする水の音が。」

僕は、気障な返事をしてしまった、と思った。何だか気恥ずかしくなった。

「そんな。私も、聞こえたんです。水の音が。ちょろちょろと湧き出る水の音が。」

彼女は、そう言いながら微笑んだ。白鳳仏の微笑もこんな安寧を携えているのだろうか。不可変の真理はここにあるのだ、そう思った。純粋に「そうしていたいこと」を見つけた気がした。いつまでも、彼女を見つめていたいと思った。

「この木々の隙間から見える、あの茶屋で、食べませんか、蕎麦。」
「誰もが言うなら、美味しいのは、間違いないですよね。」

僕らは、白鳳仏を拝むことをすっかり忘れ、足早に山門から出ていき、ともに、冷たい蕎麦を食べた。御仏ありがたや、その彼女と僕は、約七か月後、結ばれたと覚えている。ーーーー


三年後
 炎天下の日差しにさらされていた僕は、神代植物公園の深大寺門の前にある手打ち蕎麦屋で、一人で、風情にそぐわないハワイアンブルーのかき氷を頼んだ。ハワイアンブルーとその寒々とした水晶は、浅型のデザートグラスにごっそりと夏の雲のように盛られ、視覚だけにおいてもかなり清々しかった。僕は、そんな涼冷な結晶を慎重に、慎重に、朱色の褪せた木のスプーンで口に運ぶのであった。ハワイアンブルーの味とは、なんと形容するべきであるのか、したくなるのかすら、あまり判然としない。単なる甘ったるさだけではなく、透き通る風が舌の上を通り過ぎていき、喉を通るころには、風は水滴となって心身に滴り落ちていく感覚が、ほのかな彩りをその味覚に感じさせているのだと思う。しかし、この感覚は、あのハワイアンブルーという色自体が、視覚を通じて、味覚との共謀の中で僕を騙して生み出しているもののようにも思える。しかし、それでも、だまされ続けていたとしても、なんの問題もない。そこに懸念はあろうが、憂鬱ではないのだ。絶対というものがそこにあることを信じたい。いや、信じざるを得ないと、僕は僕に言い聞かせる。これがまさに、ハワイアンブルーという色と味が持つ不可変の真理であった。

 そうこう考えているうちに、白雲は溶け、ハワイアンブルーの海に一体となったのであった。形あったものは突如として、みずみずしくなり、これが暑さというもの、夏というものを教え示すものとしてまったく十分であった。ただ、この時のハワイアンブルーが一番美味い。飲みながら食べる、食べながら飲む。固体にはできぬことを液体がする。液体にはできないことを固体がする。人為的でかぐわしいハワイアンブルーが、日陰の涼しさとはまた違った涼気を僕の心に運んできてくれる。自然の中に人口建造物が溶け合い、秀逸な調和をはらむ深大寺という場所で、かなり不適応な情感のように思われる向きがあるかもしれないが、僕はここで自然というものには属さないという確固たる信念と矜持を満たしながら、幸せ以外の何物をも寄せ付けようとしない人間の傲慢さを心の底から感じているのであった。ハワイアンブルーという小宇宙が、この森林と日本的な建造物とによって供された風情に勝るほどの支配力をもって、力強く甲高い叫びを脳天に向けて放つので
あった。この時もまた、憂鬱は存在しない。ハワイアンブルーの憂鬱というものは存在しない。

 こんな軋んだ思索をしているうちに、グラスの中は、もう平らな海洋であった。このサファイアに似た小さな海洋は、グラスの光の屈折と蕎麦に合う色の机とのコントラストにおいて、やけに、あの風鈴の音に似た涼しげな日本的情緒を感じさせる。そのサファイアの海を飲み干そうとするが、私にはできない。この不可変の真理を飲み干したくはないのだ。しかし、ふと勢いづかなければならぬ時が迫る。時間は戻らぬ。時間は進む。ついには、飲み干す他はない。そこには、宝石のような海があったのだ。というノスタルジーが私を襲う。なんだか滑稽にも思えてきた。哀しくなってくる。なんだか儚いグラスを僕は数分間、じっと眺める。これは、憂鬱ではない。悲哀である。僕は泣いてなどいない。空っぽの心をぶつけるわけでもない。彼の瞼の裏には、ハワイアンブルーの憂鬱が蒸留していた。

 何かこみ上げる気持ちに耐えかねたのか、突如として立ち上がり、襟元を直したスーツ姿の青年は、お茶屋をせかせかと飛び出し、足早にどこかへ去っていった――― 中間者としての青年が、そこにいた。ある夏の日のことである。


2021年7月29日 執筆 

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