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高い頂きを目指し 登頂した強者


以前ヤフブロにいた。

ヤフブロで毎日やり取りしていた女性がいて、その方はナント‼︎『多言語使い』だった。
しかも、数学がメッチャ得意で、パソコンの不具合もアッサリ自分で修理する。
パソコンの不具合を説明されても、私にはちんぷんかんぷん💫

その方は、自分で金融系のベンチャーを立ち上げ、バリバリ働く方。

お金に関しても、死に金は使わない。

中国楽器の二胡はプロ級で、ピアノもウッドベースも堪能だった。

そんな方だから、毎日やり取りするのがとても楽しかった。


そんな彼女が50を前に言ったことは、
「山に登るより、降る方が大変だ。」
だった。

親の介護をし、親の変化をマジマジと見るようになったり、自分の体調不良から、そう思ったのだと思う。

実は、
私にはその言葉がナントナク分かるけれど、本当の所は、理解出来ない。

人がどの様に老いて行くのかは、イヤと言うほど見た。
だから
「降るのは大変だろう」
とは、思う。

なんで実感出来ないかと言えば、高い頂きを目指しても、高い頂きに届く事はなかったし、常に平地周囲にいたから、
「くだる?」
って感じなのだ。


「井の中の河頭 大海を知らず」
私はそれだ。
その続きで、
「されど 空の青さを知る」
なんて、付け加えた方がいたが、
私的に言わせれば、それは蛇足だ。
頂きから見た空の青さは、頂きに登ったものしか見ることは出来ない。


だからこそ、
高い高い頂きに登った強者は、
人生の下り坂は大変だろう…と、想像するのだ。
頂きから見た空を簡単に昨日のことに出来るだろうか?
昨日のことに出来ないけれど、体や頭脳は着実に老いる。
過去のイメージと現在の状態のギャップを埋めるのは、自分自身しか出来ない…だろう。

私みたいに、平地からの空しか知らなかったら、昨日のことなど既にどうでもいい。
更に言うなら、15分前の事もどうでもいい。
高い頂きの記憶がないから、
「あ〜、いっぱい走ったなぁ。」
くらいのものなのだ。


ただそれは、
3次元的な物理世界の話し。

社会適応し、生産性に参加した話しだと、私は思う。

社会適応せず、底生産性評価の私には、
とんと関係ない場所にある。


ただ、私の意識の中では…。

既に宇宙に行って、
宇宙浴を楽しんでいる。
深い海に潜り、
どんどん深い場所へ落ちて、
結局、
宇宙に辿り着くことを知っている。

空の青さどころか、
宇宙の青さを知っている。

その場所は、
無限に広くて、
孤独なはずなのに孤独を感じなくて、
誰かがいるかと言えば誰もいない。
でも、誰か?に包まれている。
この世界にその場所を探しても、
誰も見つけることの出来ない場所。


誰か言ってた。
心は広い宇宙を内包しているって。
外の宇宙を見るよりも、
心の中の方が広い宇宙を感じることが出来るって。

ホントはそれって何なのか、
よく分かってないけど、
そうなのだ。

内包された宇宙では、
登ることも降ることもない。



もしかしたら、
3次元世界じゃなくて、
ずっとバーチャルで生きてただけなのかも…。
このまま、バーチャルでいいかな…と思う。
ただそれが、強者になれなかった私の逃げだとしても、仕方ないよね〜って思うし、みんなが強者じゃ困っちゃうよね〜。


ヘッダー画像は、網戸越しに撮った画像。
どなたか気づいたでしょうか…。

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