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新しい家族のカタチ(Ⅰ)


皆様は
岩井俊二監督 『番犬は庭を守る』
読まれたでしょうか?


放射能汚染で生殖能力の落ちた世界。
繁殖能力の高い人達はA級国民となり、精子は高値で取り引きされるようになります。環境は『AKIRA』や『エヴァンゲリオン』のネオ東京みたいな環境で、とても殺伐としたお話しです。


(宮城県出身の監督が、原発事故から想定したのだろうなぁ…と、これを書きたくなった気持ちが分かる気がしました。
だって、そんな世界に、もしかしたらなっていたかもしれないですから…。)


繁殖が難しくなった世界で、優秀な精子を買って繁殖していきます。でも、それが誰のものか、本当に優秀かなんて見分けることは出来ません。
勿論、お金がなければ買う事すら出来ません。
子供を持つことが出来ても、夫婦間での遺伝子的繋がりではなくなって行きます。
それでも、夫婦で子供を持つことは強い執着となって行きます。

そう考えると、家族が血縁の必要はない気がするんですよね。
まぁ、夫婦は元々他人と言えば他人。

物語の中で、主人公、精子バンクのバイヤー、身体障害者となったバレリーナが寄り添って暮らす様になり、人工授精の子供を授かります。やはり新しい命の誕生は、荒んだ主人公たちに光を与えまさに家族を形成します。
障害者となったバレリーナが子供を産んだ時、
「お父さんが二人もいるなんて幸せね。」
と、子供に言います。

そのシーンを読んだ時、血縁ではない新しい家族の形はあり得ると思ったのです。
家族の様に寄り添うことが出来たら、家族になる事ってできるんじゃないか…。助け合う事の出来る最小単位の疑似家族。
やはり、人が最後に帰るのは家族なんだと思うんです。
ただそれが、疑似家族でも帰る場所になり得るんじゃないかと思うんです。




以前、『在宅ひとり死のすすめ』について書きました。


孤独死は孤独じゃない…と、上野千鶴子さんは言っています。

確かに、それで良しと思えばそうでしょう。
私も、以前はそう思っていましたし。

でもね。
人が終末を迎えるのって、そんなに簡単じゃない。
昨日まで元気でコロッと死んだりしないですから。

元気になったり伏せったり、自分のことさえ出来なくなって、1日一回やって来るヘルパーさんがいたって、食事やトイレはどうする?食事もトイレもヘルパーさんが来る一回じゃ済まない。

今は『施設に預ける』が主流だけど、本当に、施設で人生を終わらせたい?
本当に、あなたに在宅一人死出来ますか?

そして、
バブル期から独身者、離婚し独身の方、核家族化し夫婦だけと言う家庭も多い。
これから、そう言う単身者は増大する訳です。


片親で暮らす子供や
ヤングケアラーの子供もいます。
両親が揃っていても、仕事で疲れ果てた両親が子供に愛情を注げなかったらどうでしょう?その生活が普通になってしまって問題が発生しても、どこに問題があるかを気付けない。


みんな、元気な人たちの視界には入って来ません。
どうしてかって、
全て閉鎖空間で過ごしているからです。
核家族化した、少人数の閉鎖空間。


今の社会のシステムで、小手先をいくら変えても、問題が何かに気付くことも出来ず、問題を解決する事も出来ないと思っています。

何か解決するにも、資本主義の壁が立ちはだかる事も事実です。
全ての活動は、儲けが出ない限り無駄な活動と定義されますから。
何よりカタチを作っても継続できない…と言うことになっている。
だから、問題解決より先に、お金を発生させる仕組みが優先されるんですよね。
優先されるのは、人じゃなくて、お金。


でも、それを解決出来るのが疑似家族だと考えています。
疑似家族の先は、小さな単位のコミュニティ。
最小単位のコミュニティまで出来れば、賛同してくれる人が集まれば、回って行くと思うんです。


これから、新しい家族のカタチを実現していけたらと考えています。

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