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リアルな夢。

先程、友達から
「私、今月、不幸なの。」
と、電話が来た。

何が起こったの?
と、思い、聞いてみると、
実母が亡くなり、
2週間後、
義父が亡くなったそう。

確かにそこだけ聞くと、
悲しい出来事で、
不幸と言えるけれど、
ずっと話を聞いていると、
お二人共、
人生をまっとうしたと感じた。

それを伝えると、
「そうだよね。二人共、
人生まっとうしたよね。
育休中だから、
母ともゆっくり過ごせたし。」
と、
少し元気になったみたいだった。

良かった。

日本は世界一長寿国だけど、
個人的には、
長生きすれば
良いってもんじゃない…
と、思う。

100歳近く生きて、
友達も子供もいなくなり
話し相手もいなくて、
自分の体も持て余し、
行きたい所にも行けなくて、
有り余るお金があれば
何とかなるけど、
無ければひもじいだけ。

核家族での長生きなんて、
寂しいだけじゃないかな?

そんな妄想をしてしまうが、
実際、
いきてみないと分からない。
そんな世界での
楽しみ方があるかもしれない。

やってみないと分からない。
それをどう感じるかも、
人それぞれ。

まあ、
どう生きるかの方が
大事だよね。



ふと、
父のことを思い出した。

父は、
旅行先でくも膜下出血を起こし、
手術はしたけれど、
入院中に呼吸を止めた。

一度だけ、
父の顔を拭いていると、
私をじっと見つめて
何か言いたそうだったけど、
それっきり、
意識を感じることは無かった。


49日も過ぎたある日。

父も含めたみんなで
大きなフェリーに乗った。
大きな川を渡って、
向こう岸に降りたのは、
父と私だけだった。
その後、二人で車に乗ると
父が
「瑜伽の言うこと
きかなくてゴメンな。」
と言った。

父が旅行に出かける前、
私は胸騒ぎがしていて、
「旅行に行かないで、
もし行くなら私を連れて行って。
おいて行かないで。」
と、父に頼んでいた。

私はじっと、
父を見つめた。
いつもの少しおどけた、
優しい父だ。
自分のために、
何処かに行くことなんて
あっただろうか?
いつも、
家族や友達や会社のために
走ってた気がする。

「いいよ。
行きたかったんでしょう?」

父は少し涙ぐんだ。

丘の頂上に辿り着くと、
丘一面に
曼珠沙華が咲いていた。
車を止め、
私は一本だけ曼珠沙華を
折って父の元に戻ると、

「もっと取ってきていいんだ。」
と、言う。

私は、
また曼珠沙華を摘んで
父の元に戻った。

「もっと
たくさん摘んでいいんだ。」
と言う。

車の助手席が
いっぱいになるくらい摘んだ。
それなのに

「もっとたくさん摘んで来い。」
と言う。

「知らない人のモノなのに、
勝手に摘んだらだめでしょう。」
と、私が言っても、

「いいんだ。」
と、繰り返す。


そんな、
かなりリアルな夢を見た。
その会話が、
父との最後の会話だ。

未だに、
なぜ父が曼珠沙華を
そんなにたくさん
摘ませたかったのかは
分からない。

今思えば、
あんなにキレイだったんだから、
心から曼珠沙華を摘むのを
楽しめばよかったと思う。
キレイだね…と、
もっと喜べばよかった。

これは勝手な解釈だけど、
もっと楽しめ。
もっと喜べ。
って、
父は言いたかったのかな?

でもその後から、
うちのお墓の周りは
たくさんの曼珠沙華が
咲くようになった。

きっと誰かが
植えたのだとは思うけど。

もしかしたら、
私は父と
三途の川を
渡ったのかもしれない。

とても静かで穏やかな
キレイなところだった。

もし私が死んだら、
あの曼珠沙華の丘に
行くのだろうか?





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