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罪と罰って 読みましたか?


ドフトエスキーの
「罪と罰」
読まれた事はあるでしょうか?

私は何度読もうと挑戦しましたが、
…諦めました。
なんだか、眠くなっちゃうんですよね😅


んでも、
罪と罰って?
と、思い浮かべると、
悪い事をすると地獄に行く。
とか、
いつか罰を受ける。
とかを思い浮かべるんです。


「罰」って、効果あるんですかね?


夫を見てると、
この世は悪い事したモノガチ。
いくらでもズルい事したモノガチ。
そして世間は男尊女卑で、
夫のしたいこと、した事を肯定する。
そして、夫のズルい事も肯定される。

夫の口癖は
「ズルく生きないとダメなんだ」

夫を通して世間を見ると、
本当に世の中は
ズルいことが出来る人が優遇されてるように見えてしまう。

面倒くさいから、
ズルく立ち回って勝ちを取る方に
肩入れした方が楽だもんね。


多分、
「罰」なんて、
ない気がする。


強いものには、
めっぽう尻尾振りまくり、
弱いものには、
暴力だって、恐喝だって辞さない。

強いものに、弱みを握られたら、
ひたすら
『自分は弱者だ』
と、偽の涙も流す。

ズルく生きるのが当たり前、
だから、
嘘だって平気でつく。
でも、他人の嘘はトコトン追求して
何かしらを奪う。

それで、普通に生きてるし…。

よく考えれば、

世の中って、
そんな人、たくさんいるような?



実はね。

私、

イキリョウトバセチャウンデス。

あんまり、

頭に来ると理性無くすでしょ。

って言うか、

自分を解放しちゃうと。


って言うか。
ズルく生きていいなら、
私も自分の「ギフト」
使っちゃうよ…と、思うわけです。


でもね。
それって、
全く、
愛じゃない。

ただの復讐。

負の連鎖はどこかで断ち切らないと。

「罰」が与えられなくても、
私の預かり知れないこと。

私のギフトは、
泣いてる誰かを抱きしめる時に
使いたい。
それが正しい使い方だと思うし。

マザー テレサを、
久しぶりテレビでみた。

愛の祈りで満たされてるようで、
オーラが違う。
愛と怒りの同居。
「お願いだから愛を」
と、懇願しているようでもある。

「そう。愛ですよね。」

こんな気分の時に、
マザー テレサを見るなんて、
「悪魔と契約したらダメですよ」
って、お知らせとしか思えない。

夫は、夫の世界で生き、
私は、私の世界で生きるべき。

道ははっきり分かれたしるしだ。

ズルい世界では生きない。
愛の光の中で生きる。

どうして夫と出会ったのか?
恐らくそれには理由があって、
自分がどう生きたいかの
覚悟をする為だったのかも知れない。

そう考えるのなら、
感謝しかない。


ここまで読まれた方。
意味不明かも知れませんが、
読んで頂きありがとうございます。


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