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( 引用 ) 山崎ナオコーラ 『ここに消えない会話がある』

「広田は校正が終わると、給湯室へ行って、インスタントコーヒーを淹れた。お気に入りのマグカップが棚に仕舞ってある。そのマグカップを手に取るとき、いつもほっとする。これって愛情かな、と思う。
愛情があるってときはどうするんだっけ、と思い、近くで見たり、遠くから眺めたり、それからコーヒーを入れて飲んでみたりした。
広田はマグカップへ、死んだあとに骨になって入りたい。しかし、どう考えても入りきりそうにないので、たくさんのマグカップに分けて入れてもらおうか。骨壺には入りたくない。家族と一緒の墓なんて、絶対に嫌だ。
砕いて紙にのせて、さらさらと入れてもらいたい。箸でつままれるのは、どうも恥ずかしいから。
生きるのが面倒なのは、不幸だからではなく、生半可な幸せと堪えられそうな不幸が交互に訪れるからではないだろうか。
大した絶望でない絶望が降り注ぐので、大した諦念にも辿り着けず、面倒なのに面倒とも思えず、知らぬうちに生き抜いてしまうのかもしれず。
もしも、不幸になれるのなら不幸な方がいいのだ。
不幸ならば人生を嘆いていれば済む。楽ではないか。
世の中に不満だけぶつけていればいい。
でも現実は幸、不幸の二元論では語れない。
どんな気持ちで人生と対峙すればいいのか、広田には未だにわからない。真っ直ぐに生きる勇気も、逃げる勇気も持ち合わせずに、ただ徒に時が過ぎてしまうのだろうか。
問題なのは広田が世の中を好きだということであった。広田は人生を愛してしまっている。
もっと自分を虫けらのように扱うことができればいいのにな、とか、周りの人のことを嫌いになれれば楽なのに、とかと広田は思う。」

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