見出し画像

「感動」は、人間が人間というものに希望をもつために必要な軽薄さ〜最果タヒさんの連載「『好き』の因数分解」より〜

年々、涙もろくなる。

嬉しくても悲しくても、少しでも感情が動くと涙が出てしまう。

”動く”とまでいかなくても、気持ちに”差”が生まれると突然。

自分の意思で止まられないので、実際すごく恥ずかしい。心配されたり共感されると、手で顔を覆わないといけないくらい号泣してしまうので、とても厄介なのだ。

ーーー

娘の保育園の運動会でも、大発作が起きて大変だった。

娘に対してならまだしも、ほとんど知り合いのいない年長さんの跳び箱で。

四段は楽々跳んでいくスーパー園児たちなので、冷静に見ていられると思ったのだけどダメだった。

一段一段上げていき、六段から「がんばりました!」と肩を叩かれて座っていく人。

次の段を待つ人。

跳べなくても「がんばれ〜!」と応援する人。

その光景を見ているだけで心が震えて、嗚咽してしまう始末。風邪引き中でマスクをしていてよかった。

八段を跳んだのは1人の女の子。

すでに自分の背より高い。怖さも絶対あるはずなのに、未踏の九段に挑戦する姿を見る頃には、マスクの縁がびっしょりで気持ち悪かった。ファンデーションも落ちた。

挑戦はここで終わったのだけれど、私はなんでこんなに泣いているのか?単純にみんなすごいのだけど、なんでこんなに感動してるんだろう。

ーーー

ちょうどこの数時間後、「台風が去ったら絶対行く」と決めていた美容院へ。

そこでたまたま読んだ雑誌FUDGE。最果タヒさんの連載「好き」の因数分解に、その答えがあった(タイトルも素敵!)。

タヒさんは、ロケットの打ち上げが好き。自分にはできないことを達成していく人達を見て、すごいなと「感動」する。

あの場に自分がいたら、と想像する。でもきっと、あのロケット開発者のように夢中にはなれない。

それなら、なんで感動しているのだろう。無くしたくはないけれど、自分ごとに落とし込めないこの気持ち。

「感動」は、人間が人間というものに希望をもつために必要な軽薄さ

なのではないかと、タヒさんは分析していた。

ーーー

言葉を扱う人は本当にすごいなぁと感動する。

跳び箱九段を跳ぶ年長さんに、感動する。

自分もそんな風になれたら、きっと気持ちが良いんだろうなぁと想像する。でもそこまで情熱を注げるかと問われると、きっと途中で諦めてしまう。

”感動”と”希望”は紐付いている感情なんだな。

自分にはできないことを成し遂げる人や物事に、希望を見出す。

希望を感じるものに感動して、泣いたりする。

午前中の涙の正体は、これから何にでもなれる子どもたちへの希望だったのかなと思うと、とてもスッキリする。

私には絶対に必要な軽薄さ

FUDGEを毎月購読できるか自信がないので(おしゃれすぎる&買い忘れる)、タヒさんの連載が単行本化されたら買おうと思う。

ーーー

水曜日午前3時。星野源のオールナイトニッポン明け。

最新曲「さらしもの feat.PUNPEE」を鬼リピートしながら、軽薄さマックスでこれを書いている。

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?