発達障がいの子どもに関わり続ける理由。

どうも。作業療法士のユウエイです。

今回はですね、僕がいわゆる発達障がいと診断のついている子どもたちに関わり続ける理由についてお話したいと思います。

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気になる方は覗いてみてください。

少しだけ話すと、作業療法士になったきっかけは【祖母の死】なんですね。

少しだけ話すと言いながら、noteにも記事として上げた方が読んでくださる方もいると思ったので、後日その【作業療法士になろうと思ったきっかけ】についても書きたいと思います。

オンラインサロンの記事では【作業療法士になろうと思ったきっかけ】については書いているので、今回は

発達障がいの子どもに関わり続ける理由

について書きたいと思います。

祖母の死がきっかけで、作業療法士を目指して専門学校に入学したわけですが。

発達障がいの子どもに関わりたいと思ったきっかけがその専門学生時代の2年生の時の話になります。

作業療法士はよく四つの分野でお仕事をすると言われています。

一つ目が、身体障がい領域。
→いわゆる身体の不自由さで生きづらさを感じてる方の支援。

二つ目が、高齢期(老年期)の領域
→高齢者の方の支援。

三つ目が、精神障がい領域
→精神疾患を抱えた方への支援。

四つ目が、発達障がい領域
→発達障がいや脳性麻痺などの運動麻痺を抱えた肢体不自由の子どもさんや、ダウン症などの遺伝性の疾患を抱えた子どもの支援。

もっと細かくいうと
予防的作業療法、終末期(がんの末期の方)の作業療法…などなど。

色んな分野の作業療法があります。

その中で、なぜ発達障がい領域の

いわゆる発達障がいと診断のつく子どもたちの支援に関わるのか。

そこについて書いていきたいと思います。

作業療法士になろうと思ったきっかけは

祖母の死



なのですが、

そうなると上記で挙げた四つの領域のうちの

身体障がい領域、もしくは老年期領域の支援に携わるのではないか!?
と思う方もいるかもしれません。

このnoteだけを読んでいる方はわかりづらいと思いますが。

説明すると、
祖母は脳出血による右片麻痺になったため
身体障がい領域と老年期領域という話を出しました。

そのため、僕が作業療法士としてお仕事をする時にはきっかけとなった祖母と関連する、身体障がい領域、もしくは老年期領域に携わるのではないと思った方もいるのではないでしょうか。

そう疑問に思う方もいるのではないかと思って先に書きました。

でも、専門学校の2年生の時の授業の中で
発達障がいの子どもたちにも作業療法士が関わることを知って、自分の人生の経験と照らし合わせ考えていくと、祖母の死のことも大きく考えていましたが、

なんというか、それよりももっとやりたいことがあるという感覚になって。

その【発達障がい】の子どもたちに関わりたいと思うようになりました。

なぜ発達障がいの子どもに関わりたいと思うようになったのか?

これについて深掘りしていきたいと思います。

僕は今現在、身長が150センチしかありません。

あっ、僕は2021年現在33歳の男性です笑

↑↑言い忘れてましたね。

まぁ、年齢がどうとかは特に今回の話には関係ないのですが、僕が作業療法士になろうと思った年齢も遅くて25歳の時です。

本題に戻ると、まず自分の身体の話をする必要があります。

僕は身長150センチしかありません

大事なところなので、二度言いました。笑

まぁ、笑い話でも何でもなくて、ここが大事な話に繋がるのですが。

僕は小学生の頃から身体が小さく細くて弱々しい印象の体型でした。

それがコンプレックスでもあり、小学生から中学生にも上がり、そのコンプレックスには特に変化もなく身長も低く体型も細身のままでした。

中学生にもなると、イメージできると思いますが

思春期って時期

になりますね。

それもあってか、徐々に周りの目も気になり、その周りの目を気にする気持ちも強くなる傾向でした。

思春期になると女子たちの男子に対するイメージも強化されていき、同じ男子からは男子として身体が大きくなる時期でもあるので

身体が小さく、背が低い僕は周りの男子からすれば、比較対象になって背が低いことをバカにすることも、見下されることもありました。

実際に中学生の頃は、廊下ですれ違った男子に背を比べられて、バカにされることも何度かありました。

そんな風にコンプレックスに対する悲観的な考えが強まる中学時代の中で特に自分を必要以上に追い込んで、

自分を責めてしまった

時がありました。

それが中学3年生の時でした。

中学1年生、中学2年生の時は同じクラスの中に仲の良い友達もいて楽しく学校生活も送れていたように感じます。

そして中学3年生になってからクラスが変わり、その仲の良かった友達ともクラスが離れて、友達と接する機会も減って居場所を見つけられなかったように感じていました。

全く仲の良い友達がクラスから居なくなったわけではありませんが、唯一仲の良かった友達も不登校になってしまい、ますますクラスから居場所が無くなっていったような感覚でした。

そして、中学生3年生の昼休みの時間はトイレにこもるようになる時間が増えました。

中学3年生になってからも身長のことや体格のことでコンプレックスを笑われることも変わらずありました。

それに対して〝いじめ〟と捉える人もいれば、そう捉えない人もいるかもしれません。

僕自身はいじめとしては捉えてなかったので、そうじゃないかと今でも思っています。

現に中学生時代に通っていた塾にも同じ中学校から行っていた人もいて、その友達とも仲良く話していたので、いじめとまでは捉えてはいませんでした。

ただ、自分を必要以上に責めてしまって自分の存在を否定していた感覚が強かったです。

学校で昼休みにトイレにこもってる時間では、考え込むことが多くなって、その時間の中で身体が小さいことに対して

どうして自分は背が低いんだろう?

どうして自分は周りと違うんだろう?

生まれる前に何か悪いことをしたのかな?

周りと違うんだったら生きていない方がいいのかな?

周りと違うんだったら死んだ方がいいのかな?

なんてことを考えるようになり、自分を責めてしまう時間が強くなっていきました。

これは学校のトイレにこもっている時だけではなく、学校が終わって家に帰って
家に誰もいない時間帯は同じようなことを考えては自分を責めるようなことが多くありました。

時には、その考え込んでいる時には悔し涙だったり、悲しくて泣いていたりということもあって
家に帰ってきた母親にその場面を見られてしまって泣いている顔を見られたこともありました。

その時は本当に親不孝者だなって思いましたね。

そして年月も経って
高校2年生の時。この時も相わらず身長も伸びず、身体の成長は大きく変化していませんでした。

母が何を思ったのか、整形外科を受診しに行くと。

話を出してきました。

僕が背が低いこと、身体のことを気にしていることを母が心配して

整形外科で骨を調べてもらって何か異常が無いか、調べてもらったらどうかと考えて受診を母と一緒にしに整形外科へ行きました。

整形外科では骨盤のレントゲンを撮ってもらいました。

そして、整形外科の先生からレントゲンを見て話されたことが

大人の骨盤に近づいているから、今後もほとんど身長は伸びない

という話でした。

正直、ショックでした。

僕はその整形外科の駐車場に停めていた車に母と一緒に戻って助手席に乗った途端

何かが崩れたように涙が止まりませんでした

今まで溜め込んでいたものが溢れ出てしまいました。人生の中であれほど泣いたのは最初で最後かもしれません。

それと同時に自分を育ててくれた母親の隣で、その出来事で大泣きしてしまったことを後悔しましたし、本当に親不孝者だなと自分が情けなく感じました。

整形外科を受診して、そのDr.の先生から大学病院での遺伝子検査もできるとのことだったので、紹介状を書いていただき、大学病院を受診してみることにしました。この時は諦めの気持ちがほとんどでしたが、やってみるだけやってみようという気持ちでもありました。

(大人の骨盤に近づいているというのは、専門的にいうと骨盤の骨端線が閉じてきて成長する見込みがないとでも表現するかと思います。)

大学病院を受診して分かった結果は

成長ホルモンの分泌に異常はない

ということでした。

大学病院を受診した時点で諦め半分であまり期待もしていなかったので、「そうなんだ…」ぐらいにしか思ってなかったですが、

あとから母親から聞いた話だと

大学病院の先生からは

あなたは目も見えるし、耳も聴こえるでしょう?

おそらく目が見えない方や耳の聞こえない方のように不自由に生きているわけじゃないと、このように言いたかったのだと思っています。

とは言っても思春期で背丈のことで悩んでる高校2年生がその状況で、その話を受け止められるほど人間として成長していなかったので、その当時は耳に入らなかったと思いますし、悩みは比べるものでないと思うので、当時の僕にとっては大きな悩みでしたし、自分の存在価値を認められなくなった時でした。

話をここで戻していくと

作業療法士の専門学校に通って2年生の時に【発達障害領域の作業療法】についての授業がありました。

僕はこの発達障害の子どもの作業療法について学んでいく中で、この中学生の頃の出来事や高校生の頃の出来事を思い出しながら授業を聞くことが多くなりました

僕が経験したように発達障がいの子どもたちも
自閉スペクトラム症やADHD(注意欠如多動症)の子どもも、学習障がいの子や発達性協調運動症の子どもたちも同じように見た目ではなく中身の部分で失敗体験を積みやすく、周囲から誤解されて自信を失くしたり、自分を嫌いになりすかったりするのではないか?

という風に自分の人生経験から、同じように自信や自己肯定感が育まれにくい子どもや、自己否定に陥りやすい子どもの自信を守りたいと思うようになって

発達障がいの子どもの支援に携わるようになりました。

かなり長文になり、読みにくい文章となりましたが最後まで読んでくださりありがとうございました。

こんな経験をしているからこそ感じる
子どもの自己肯定感を育んでいく社会の実現に向けてLINEのオープンチャットでコミュニティを運営しています。

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