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「生まれ変わったらなりたいもの」

生まれ変わったら何になりたいか。あまりそういうことは今まで考えたことがない。前世も来世もあまり気にしたことがない。

芸能人になってみたいかもしれない。表舞台にでることは現状しんどいので、とりあえず来世に託したいかもしれない。

男性に生まれて男性とセックスしたい。自分のものを舐める男性を上から見たい。

人間以外の動物になりたいとか思ったことはない。

なぜなら、去勢される猫がなぜかかわいそうに思えてしまうからだ。

しんどいな。

世間体を気にしない人間になりたい。

親を気にせず生きたい。

歌手になってみたい。







ところで、小学生の頃自分がどんなだったか覚えていますか。

私は、今とあまり変わりません。今と異なるのはバレエが好きで、バレエだけが正しいと思っていたことぐらいです。ただ、欲望がまだわからない時期だったように思います。自分に対しての理解が少なかったように思います。

女の子たちが群れでいると怖かったけれど、一人ひとりをみれば大したことがないと、昔から思っているので、彼女たちを誤解せずにすんでいたように思います。また、私が彼女たちを深い意味で理解している(確証は全くないが)ことは打ち解けるとふとした瞬間にわかってくれるものです。

中学生になると、自分の欲望が少しずつ明確になってきます。同じように敏感な年ごろの私たちは、欲望を同性という盾を使って満たそうとしているということを察してしまう。私にとっての拒絶の始まりです。

もし生まれ変わることができたらその時私から受けた、嫌な思いさせないようにしようと思います。加害者という自分からほかの子を守りたいです。

あの時拒絶してくれて本当にありがとう。

このような経験は私の指針もしくは戒めとなり今の私の人生を支えています。そして、私が触れても拒絶されないという状況の幸せさをより一層際立たせています。

世間体を気にせず、無敵の人になってしまうのはどうにかして避けなければいけないことだと思います。

要するに私の欲望は、ぎりぎりの場所にあり、ダメだとわかればわかるほど、駆り立てられるもので、スリリングさそのものです。













生まれ変わりという概念はそもそも「私」が「私」を手放し、何か別の「もの」に変化してしまうことで、多分「私」による「私」の解釈では、欲望を手放した「私」は「私」ではないという潜在意識があることが今回分かった。

醜い欲望から逃れることを諦め、その場に仁王立ちしているのが「私」なのであろう。


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