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自分がアダルトチルドレンだったと知った話

現在30代の私は、人生で初めてボーナスをもらうという経験をした。

私は留年したし、メンタルやられて通院したし、薬も飲んだし、パワハラモラハラセクハラを浴びたこともあったし、ベッドに横たわって天井を見ているしかできないこともあった。

いろいろなんとか乗り切って人生初ボーナスをもらった私は「ここまで来るのに随分かかったけど、頑張ってきてよかったなぁ」と思っていた。


しかしここ数ヶ月、私は私自身に違和感を感じていた。

たとえば、好きな人からの返信が遅いとか、上司の機嫌が悪いとか。

そういった些細なことで、私の心は悲鳴を上げていた。

「私、面倒なメッセージ送っちゃったかな、嫌われちゃったかな、無視しているのかな、もう捨てられちゃうのかな」とか

「私のせいで機嫌が悪いのかもしれない、仕事ができないって判断されたかもしれない、他の部署に飛ばされるかもしれない」

こうやって書いてみると「何を言っているんだコイツは」「そんな考えだったら幸せになんかなれるわけないだろう」と普通に思う。

平常心であれば「今忙しいのかもな」とか「難しい案件なのかもな」とか思えるのに、一瞬で感情が爆発してまともな思考ができなくなっていた。

なんかおかしい。

つらい!つらい!つらい!なんかおかしい!

そんな感情の爆発が起ってから数時間後には「なんであんな風に考えたんだろう」と疑問に思うほどだ。

このままではどうにかなってしまう!と怖くなった私はyoutube先生とgoogle先生に頼ることにした。

そこで引っかかった「アダルトチルドレン」。

幼少の頃、安心できる家庭環境じゃなかった子供というのは、本来自分の内側に向かうアンテナ(心の内面)を育てることができず、外に向けたアンテナ(他者への配慮)を育てることで、人が何を望んでいるのか感じ取り、攻撃されないように身を守ることに幼少期を費やす。

内側に向かうアンテナを育ててきた子供は、集団生活の中で他者とぶつかりながら外へ向けたアンテナを育てていく。

しかし幼少期に外へ向けたアンテナを育てた子供は、そのまま他者へ配慮し続け、自分のやりたいことや、好きなことなどが育たないまま大人になる。

そして大人になったとき「内側に向いたアンテナ」を軸に人生を選択していくのだが、それを育てられないまま大人になった子供は、人生の目標を持てず、周りの人が自分の人生を選択し、生き始める中で、他者に依存して生きていくことしかできなくなる…らしい。

大人になった私は、他者の顔色をうかがって、それを基準に行動しているため一貫性がなく、他者の顔色一つで心がぐらぐらになる。

これを知った私はまず、自分の意志でしていることは何だろうかと考えた。

友達と遊ぶとき、遊んで良かったなと思ってもらえるように何を望んでいるか考えて用意するし、正社員になれば親が安心するから頑張ったし、真面目に働けば上司に良く思ってもらえるから真面目にするし、ご飯を用意してほしそうだから好きな人の家で夕飯を作って待つ。

全部他者を喜ばせるための選択だった。

本当はひとりでゆっくりしたいし、親の期待に応えたくないし、仕事は頑張るよりほどほどに手を抜きたいし、ご飯作りに行かないで自分の家で自分の好きなもの作っておいし~って食べたい。

じゃあなんでそれら全部我慢して誰かの求めるものを用意するのか、

それは「人に必要とされない私には価値がない」と思っているから。

家で自分の好きなことばっかりやって、友達に遊びに誘われても「だって愚痴ばっか言うからつまんない」と断って、親にも「会社辞めてトルコに住みます」とか言って、会社サボって美味しいピザ食べに行って、好きな人には「今日はお前が作れ」とか言う。

本当は私がそういう人間になっても、関係性は変わるかもしれないけど「死ねゴミくず!二度と顔見せんな!」とかまでは言ってこないとわかっている。

けど私がそういう自分を受け入れられないだけで、そういう人間じゃないと愛してもらえないとか、そういう人間じゃないと存在価値がないと強く思いこんでいるのだ。

私はこの認知の歪みのせいで自分自身を苦しめているのだった。

これに気付いてからというものの、自分の認知の歪みがどれほど思考に影響しているか毎日のように気づいて恐ろしくなった。

人からの好意を素直に受け取れないのだ。

与えられた好意に対して「私は愛されるはずがないのにおかしい、裏があるに違いない」と考えてしまう。

人の好意にや善意に対してこんな疑いのまなざしを向けることは、本当に浅はかで思いやりがなく愚かだ。相手を傷つけるし、自分自身の幸せも遠ざける。これは本当によくない。与えられた好意をただ受け取ることすらできていないとは思っていなかったし、いざ受け入れようとしても難しくて本当に参った。

アダルトチルドレンに多い特徴を見ると、いくつか当てはまったが「これは今は当てはまらないな…」というものもいくつかあった。

私はある人と出会ってから、考え方や生き方を教わっている。そこから私はある程度変化して、アダルトチルドレンを少しずつ克服できているらしかった。

本当に少しずつだけれど、変化していることさえわかればいつか克服できるとわかる。私は少しずつ自分の歪みに気付いて、他者を受け入れていくし、自分の内面を大切にして私らしく生きることを目標にする。

今まで「なんのために生きているんだろう」と急に全部どうでもよくなるのは、自分を他者中心に動かして生きてきたからなんだろう。

自分の内面を尊重して生きていけたら、毎日わくわくできるような人生になるのだろうか。今はまだわからないけど、大切だなと思う人たちを傷つけたくない。これも他者依存の考え方かもしれないけど、変わっていく動機になるならいいよね。

しかし「アダルトチルドレンじゃない人っているの?」と思うのだが、どうなんだろう。どちらかというとアダルトチルドレンの割合のほうが多い気がする。それでもアダルトチルドレンで溢れかえっていないのは、生きていく中で一人ひとり克服しているんだろうなぁ。

何年もかかるだろうけど、ゆっくりやっていこう。

あなたが自分のために飲み物を用意して、私の記事を読んでくれたらそれだけで嬉しい。