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葬儀でどんな顔をすればいいのか、正解を探してしまう私


親戚が亡くなった。職場の駐車場にいるとき、母から連絡があった。最近寝たきりになったばかりで、ご飯をよく食べていると聞いていたのに、こんなに早く。
母と話しているのに、現実味がないせいか「はい」「ええ」などと、知らない人と話すかのような返答を繰り返した。でもそれは母も同じだったように思う。

その日仕事が終わってから親戚の家に行き、拝んできた。久しぶりに見る親戚の顔が、疲れているように見える。

私はどんな顔をすればいいのかわからなかった。別に正解があるわけじゃないとは知っている。泣いてもいいし泣かなくてもいい。実際私は少し泣いてしまったが、亡くなった人の家族の前で泣くのが、なんだか忍びなかった。

この人たちはちゃんと泣けただろうか。

私の泣きたい気持ちと、親戚を心配する気持ちがあって、私は少しでも励ます側にいるべきじゃないかとか、何を望んでいるだろうかとか、正解を探してしまうのだった。



なんだかとても居心地が悪かった。

亡くなった方は、私に唯一「頑張るな」と声をかけてくれた人だった。

幼い頃の私は居場所がなかったように思う。転校したてで馴染めない学校生活と、新しい家族との生活。
私は少しでも居場所が欲しくて、学校では周りの趣味に合わせてみたり、家ではできるだけ人の神経を逆撫でないように顔色を伺っていた。

そんな中、初めて「あんまり頑張るな」と言われた時は、私は別に頑張ってないけどな…と思った。

けど大きくなるにつれて「そのままでもいい」という意味だと少しずつ理解した。

周りの人たちがみんな「がんばれ!」と言う中で、その言葉は私にとってとても大切なものだった。



葬儀の場で、思い出話に花が咲けば笑うこともあるだろう。
でもそれが許せないのだった。私は悲しいのに、その場の雰囲気で笑ってしまう自分が許せない。

なんだか色々な感情が混ざってしまって、具合が悪くなりそうだ。

きちんと葬いの場に出たいのに、弱くて困ったものだ。


あなたが自分のために飲み物を用意して、私の記事を読んでくれたらそれだけで嬉しい。