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インフルでやることなくて暇なので9月の中国入国隔離の思い出を振り返る

はじめに

喉が痛いな〜おかしいな〜黄砂ひどかったからそのせいかな?と思ってほっといたら翌日39.9℃の熱が出て普通にA型インフル陽性でした。いま中国で話題の甲流ってやつです。(恭喜你新冠和甲流都阳过了🐑)

さて、授業中に考え事をしていてふと9月に中国に渡航してきた際の入国隔離のことを思い出したので、インフルが治るまでの暇つぶしと思い出の記録も兼ねて写真・ツイート・当時書いてた日記(1ヶ月持たずに辞めた)を振り返りながらダイジェスト的にnoteに認めようと思います。暇なときにでも読んでください。

日記、授業とか生活に慣れない中でそれなりの時間取られるのがしんどくてすぐ書くのやめちゃったけど今見返してみたら結構当時のこと思い出せてよかったのでやっぱり続けておけばよかったな〜と思いました。

ちなみに、僕が中国に渡航してきた際に経験した隔離の全貌はこんな感じです。

ステップ1:すべての入国者に一律で求められる集中入国隔離+その後の健康観察@強制移送される隔離ホテル(7日+3日)
ステップ2:学校側が独自に定める健康観察@寮敷地内のホテル(4日)
ステップ3:寮の敷地から出られない「過渡期」@寮の自室(7日)

こんな感じで合計3ステップ21日間の隔離を経験したのでした。待ちに待った留学だったので「隔離なんてなんのその」みたいな心構えで来ましたが、もともと部屋にこもりっきりになるのがあんまり得意じゃないタイプで、コロナ初期の頃もずっと家にいるのが精神的にあまりにもキツすぎて都内を散歩しまくってた人間なのでこの隔離期間は本っっっっっ当にキツかったです。よく頑張った。

この記事では、日数の長さ的にも制限の厳しさ的にもダントツだったステップ1の部分を主に振り返ってみようと思います。よろしくね。たぶん「○日目」の表記はどこかしらで間違ってる気がします。数弱なので。

9月13日(火) 1日目:出発

成田空港へ

とうとう待ちに待った中国への出発です。
2年生の時の留学は留学ビザが未再開であることを理由に辞退。次年度の募集に再応募するも本当にギリギリまでビザは再開されず、その間死ぬほど病んでいました。そんな状況から一転して渡航できることになったのですから、その高揚感といったらありません。しかも海外自体、コロナ前超ギリギリに高校同期との卒業旅行で行った台湾以来なので、実におよそ2年半ぶりの出国です。わくわく〜

成田エクスプレスで成田空港に向かっています

見送りに来てくれた両親にしばしの別れを告げ、保安検査・出国手続きを一通り済ませていざ向かうは搭乗口……ではなく、一風堂でラーメンを食べました。

よりにもよってラーメン界の中で一番中国でも食べられそうな豚骨ラーメン

いざ、搭乗

一風堂で腹ごしらえを済ませたら、必要になりそうなものをドラッグストアで慌てて購入し飛行機に飛び乗ります。
ボーディングブリッジを抜けた先では、今やその名前すら聞かなくなった大白(客室乗務員バージョン)がお出迎えしてくれました。

お出迎え大白

感染拡大防止のためか、機内食はごく簡単なもので、ポリ袋にマフィン・クッキー・オレンジなどが詰め込まれて各席のポケットに押し込められているだけでした。

26万円の機内食です❗中国国際航空最高❗

僕の席のタッチパネルは壊れていたので、飛行中は『洞穴人(ほらあなんちゅ)』という何が楽しいのかわからない謎のゲームのオープニング画面を眺めることしかできませんでした。一応手元にリモコンはついていたのですが、XボタンもYボタンも存在しないので結局遊ぶことはできませんでした。なんなんだ?これ

到着・隔離施設へ移動

ついに北京首都空港に到着!
久しぶりの首都空港はコロナ対策で様変わりしていて人気もなく、どこか寂しいようで、でもようやく渡航してこれて嬉しいような、そんな複雑な感情だったと記憶しています。

見ての通りがらんどうのロビー。来たことのある場所なのに、全く違う場所のような印象を受けました。

飛行機を降りてからは、通関用の健康申告をしたり、PCR検査をしたりと、あっちに行ったりこっちに行ったり、手続きが進んだと思えばまた待たされ……みたいな感じでドタバタでしたが、どうにか入国に成功。渡航前に必死の思いで取得した緑色の健康コードはとうとう一度も見せる機会がありませんでした。(ちゃんと使わないなら余計な手間を増やすな)

冰墩墩と雪容融がお迎えしてくれました。ほんとだったら留学中にオリンピックだったのになあ

荷物受け取りはいつものコンベアではなく、同じ便の荷物が一箇所にまとめて置いてあるところから各自取っていく形でした。
自分の荷物が受け取れたら、隔離施設行きのバスに乗り込みます。

渡航者を積み込む隔離施設行きバスの車列

乗車から出発までかなりの時間待たされ、動き出してからもかな〜り長い距離を走り続け到着したのはまさかの大興区。ある程度郊外になるだろうな〜とは思っていたものの、学校への移動がめちゃくちゃしにくいところに飛ばされてしまいました。大興ってあれですよ?もう1つのデカ国際空港があるところ。

青い現在地マークが学校らへん。遠すぎ

隔離施設に到着しバスが停まってからも、降車の許可が出るまではバスの中で待ちぼうけです。窓の外では大白たちがやる気なさそ〜〜に消毒してました。そういえば、話に聞いてたような消毒液大量ぶっかけられイベントには結局最後まで遭遇しませんでした。

やる気のない消毒班

バスから降りて一通りチェックイン手続きを済ませたら、成田からここまで一緒に行動してきた友人たちとは10日間のお別れです。お互いの無事を祈って、それぞれの監獄隔離部屋へと赴きます。建物に入る際に、簡単なインスタントの夕食をもらい、隔離中に使用するWeChatグループの案内を受けました。

上の写真が僕が10日間過ごしていた隔離部屋。建物自体は結構新しいようで、第一印象は「思ってたほど悪くないな」という感じでした。なんなら今住んでる寮よりも全然環境いいです。

チェックインのときに配られたご飯

注意事項を一通り読み、配られたご飯を食べてこの日は就寝。
長旅の疲れとようやく中国に来れた興奮で、これからここに監禁されるんだという憂鬱はまだそれほどなかったように思います。

9月14日(水) 2日目:徐々に明らかになる隔離生活の全貌

新事実:窓の外、けっこうデカめの工事現場だった

隔離施設に到着した際はすでに暗くなっていてよく分からなかったのですが、朝起きて窓の外を覗いてみると、なんとかなり大規模な工事現場でした。
とはいえ窓を閉めていれば結構静かだったので勉強を妨害されることは特になく、むしろ気分転換に工事現場の作業やスローガンを眺めて楽しんだりしていました。
中国の工事現場のスローガンって面白くて、節々で韻を踏んでいたり各フレーズの文字数がビタビタに揃っていたり、さすが中国語だなあと思わされる見てて楽しいスローガンでした。

毎日のPCR検査と検温報告

隔離期間中はほぼ毎日PCR検査が行われていました。隔離施設のスタッフが綿棒を口の結構奥まで突っ込んでくるタイプの人で、最初の方はかなりキツかったのを覚えています(なんか途中からちょっと適当になった)。
また、1日2回、朝食と夕食のタイミングで検温しWeChatグループに報告しなければいけませんでしたが、写真を送ったりするわけでもなくただ接龙(LINEでいうグループノートみたいなやつ)に文字で書くだけなので、正直形だけでちゃんとやる意味はなかったと思います。

株式会社 飯があまりにも多すぎる、設立

授業と睡眠以外本当に特にすることがない隔離生活のなかでの唯一の楽しみ、それが食事です。
僕のいた隔離施設では、だいたい毎日8時・12時・18時くらいにお弁当が部屋の前まで届けられていました。

こんな感じで一応台の上に置かれるんですが、廊下の消毒後だと台がまだ濡れてるせいで袋の底がびしょびしょになってて結構嫌だった思い出。ほぼ餌

隔離施設のご飯、味はまあ普通に美味しいんですが、脂っこい上に量が多く、1日中部屋に籠もって座ってるか寝てるかの人間には明らかにキャパオーバーでした。

僕はよほど酷い体調不良でない限り「体が受け付けてくれなくて何も食べられない……」なんてことは起こらずモリモリ食事をし続ける食欲大魔神なのですが(現にインフルに苛まれてる今でも、40℃近く出てた時は流石にオレンジとかゼリーとかしか食べられなかったけどその夜うどん茹でて食べたし割と普通に食べてる)、この時ばかりは半分作業のような気持ちで「おなかいっぱいだなあ……」とずっと思いながら食べていました。

ちなみに隔離2日目、つまり弁当配給初日の食事はこんな感じ👇

朝食
昼食
夕食

ミチミチの炭水化物とパンパンのおかず、それにお粥と丸ごと果物。もうお分かりですね?そう、どう考えてもあまりにも多すぎるんです。たまらずWeChatグループで朝ごはんのキャンセルをお願いしました。

9月15日(木) 3日目:朝ごはん・ラウンド2

実は前の日、食べきれなかった食事をキャンセルした分の朝ごはんに当てようと思い取っておいたのですが、「ふ〜おにぎりと果物でお腹いっぱい🎶隔離中は毎朝これでいいや🎶」と思ったのも束の間、部屋のドアをノックする音が

残り物朝ごはん。かなり十分な量でした

嫌な予感がして恐る恐るドアを開けてみると……案の定やられていました。
パンッパンの炭水化物ぎっしり朝ごはん、届いてました。

「多いって……」と文句を垂れながら2食目の朝ごはんを無事完食。わんぱくで草。
でも流石にこんなに要らないので、再度グループで朝ごはんキャンセルの旨を連絡しました。

9月16日(金) 4日目:朝ごはんはそれでも届き続ける

前日の経験からなんとな〜く予感はしていたのですが、やっぱりまた届いてしまいました、朝ごはん。
他にも、僕のようにただ単に食事の量が多いのでキャンセルしたいという人に加え、アレルギーや宗教上の理由で食事の変更をお願いしていた人の分も関係なく一律で食事が届いていたようでグループは阿鼻叫喚。食事の希望を取る接龙がグループで始まりました。最初からそうしてくれ。

9月17日(土) 5日目:はじめてのおせんたく

土曜日ということで授業もなく時間があったので、日本から持ってきていた洗濯バッグと旅行用洗剤を使って洗濯をしてみることにしました。
ところがこれがあまりにも大変。洗い・すすぎ・脱水を何から何まで手でやらなければいけない上に、ずっとシャワールームに立ちっぱなしなので本当に重労働でした。昔の人ってすごいなあ。

9月18日(日) 6日目:覆水盆に返らず

お昼ご飯の弁当、ひっくり返して食べられなくなりました。
この日はお腹が空いていたので食事の配給を結構楽しみにしていたのですが、頑固な蓋をどうにか開けようとした弾みで容器が転落、僕のお昼ご飯は部屋中に散乱する惨劇となりました。この歳になってこんなことやらかすとは少ししか思ってなかった。

あまりの絶望感に笑うしかなく、片付けよりも先にとりあえず写真を撮ってツイートするというツイ廃ムーブを行いました。悲しかったな〜〜😭😭

9月20日(火) 8日目:隔離持ち物note公開

隔離生活がかなり暇&隔離に何を持っていくべきかよく聞かれていたので、noteにまとめて公開しました。

公開したぞ〜!と軽い達成感に浸っていたら、一瞬にして自分の記事が大学の日本人学生グループに流れてきました。部屋には自分一人しかいないので、一人でそれを見てウケていました、寂しいね。

9月22日(木) 10日目:最後のPCR検査と環境検査

隔離10日目は最後のPCR検査と、環境検査といって電気のスイッチや自分の持ち物に謎の紫色の試薬を塗りたくられる最悪イベントがありました。

持ち手に謎の試薬を塗られた電気ケトル(自前)

この検査で異常がなければ晴れて解放、ステップ1の入国隔離は終了です。

この日、夜ご飯についてきたリンゴの芯がカビていたのでWeChatグループに「カビてるよ!」と連絡したところ、程なくしてリンゴだけでなく大量の梨が届けられました。なんで?多くない?

しかも梨よりリンゴのほうが好き

9月23日(金) 11日目:隔離解除は突然に

突然の全員隔離解除通知

先ほど「検査で異常がなければ解放」と書きましたが、実は学校側からは「隔離開始から第11日目(つまり満10日経過後)じゃないと来ちゃダメだよ」との通達が来ていました。隔離施設側は「23日の昼間でも24日の朝でも好きな方のタイミングで出ていいよ〜」とのスタンスだったのですが、23日の昼間だと上記の要件を満たさないので、僕ら一行は24日を待ってからこの隔離施設を出発する予定でした。

ところが。「翌朝出発だからお昼ご飯食べてからゆっくりパッキングしよ〜」と呑気なことを考えていた僕のもとに、鬼の大量通知が届きました。

鬼通知がこの前後にも無限に続いています

要するに「上からの通知で急に全員今日隔離解除しなきゃいけなくなったからみんな急いで準備してね❗午後にはスタッフがみんなのお部屋に迎えに行くよ❗」ということでした。

本気で言ってる?

この通知が届いたのはお昼の12時半頃だったのですが、「全員14時に解除な❗😁」(このメッセージには書いてないけど)と言われており、1時間半しか猶予がない中大急ぎでパッキングや諸々の準備を済ませ、どうにかこうにか間に合わせました。

その後本当に隔離は解除され、僕らは「いくらなんでも急すぎるだろ!」と文句を垂れながら、学校の隔離ホテルまでの束の間の自由を謳歌したのでした。

久しぶりの外!!最高!!

これは同じ便で別の隔離施設に振り分けられた人に後から聞いた話なのですが、どうやら僕らが乗ってきた便で陽性者が複数出たようで、本当はそのままいたら濃厚接触者調査のために隔離延長になっていたところを、隔離施設のスタッフが機転を利かせて(延長がめんどかっただけかも)早めに出してくれたみたいです。感謝!(ちなみにその人はその後2日間ぐらい追加で隔離されてました。かわいそうに)

ちなみに、隔離にかかった費用は部屋代380元/日+食事代100元/日で1日480元で、これが10日分で計4800元でした。本当はキャンセルした分の食事代が帰ってくるはずだったのですが、隔離解除時のドタバタもあり結局有耶無耶のまま月日は流れてしまいました

学校の隔離ホテルへ

僕が入国した当時、北京からの入国者には4日間・それ以外からの入国者には7日間、寮の敷地内にある学校の隔離ホテルでの健康観察が義務付けられていました。ということでせっかく解放されたばかりの隔離施設からタクシーで学校の隔離ホテルまで直行でした。

上の写真が当時僕が滞在していた学校の隔離ホテルです。普通〜のホテルらしいホテルで、外はテニスコートになっていました。

チェックイン時にカードキーをもらうのですが、一定時間が経過すると失効し、よくある通電のトリガーとしてしか使えなくなってしまうようになっており、健康観察中の学生が外に出られないようにしっかり対策されていました。やりおる。あと、朝夜にフロントに電話で体温と体調を報告するように言われていましたが、これは特にやらなくても問題なさそうでした。色々やらせる割には末端がどこまでも適当。

すぐ失効しちゃうカードキー

ちなみに、ここでの食事は専用のQRコードからWeChatでお金を払って注文するか、美团で寮敷地内のレストランからデリバリーを注文するかの二択でした。(どっちも作ってるところは同じ)

WeChatでお金を払って頼む方のお弁当。昼と夜用には確か20元のメニューと30元のメニューが日替わりであったはず。

中華ばっかりの生活に飽きたので試しに外の店からうどんと朝マックを頼んでみたところ、普通に届けてくれたのでデリバリーもOKかと思っていたのですが、その後部屋に電話が掛かってきて「この期間中はデリバリー頼まないでね」と怒られが発生してしまいました。結局ダメだったみたいです。(うどんもマックも最高に美味しかった)

そういえばこの健康観察期間中には、毎日PCR検査がありました。
といっても集中隔離の期間中ほど厳格ではなく、スタッフのおばちゃんたちが和気藹々と採取していく緩い感じでした。

9月28日(水) 16日目:健康観察終了、寮自室での過渡期へ

学校の隔離ホテルでの4日間健康観察が終了し、寮に正式に入居して7日間の「過渡期」が始まりました。この過渡期の間は原則として寮の敷地から出ることを許されず、キャンパスにも入ることができませんでした。寮の敷地にはコンビニぐらいしか大したものはなく、過渡期の間に使おうと思っていたレクリエーションセンターは当時市政府からの指示で営業停止していた上にレストランやら何やらも全て閉店していたので、場所が移っただけで結局大して状況は変わりません。

寮の様子。日本の規模と比較したら当然全体のサイズは大きいですが、なにせ中では特に何もすることがないのでせっかくの広さも無用の長物でした。

この中だけで7日間も過ごすのかあ……と思っていましたが、出入の管理はかなり緩く、顔認証が通らなくても「〇〇(寮の敷地内だが当時はゲートを通る必要があった)に手続きに行きたい」といえば外に出られたので、正直脱走し放題でした。清華大学の校門も見に行きました。

脱走して見に行った清華大学

当時とは全く生活が変わりすぎていて、写真を見返すまでそんなことすっかり忘れていたのですが、当時は寮の敷地内にPCR検査場があり、この過渡期の間は毎日ここに出向いて検査を受けていました。あまりにも違う世界過ぎてゼロコロナ時代は幻覚だったんじゃないかとすら思えてくる。

10月5日(水) 23日目:全ての隔離措置を完了、ついにキャンパスへ

中国に入国してから実に3週間以上、ようやく寮での過渡期も終わり、この日ついに北京大学のキャンパスへと足を踏み入れました。
所属する国際関係学院の事務所で学生証やら何やらを受け取り、これでとうとう正式に到着となりました!!長かった……!

学部棟。入国から3週間かけてようやく辿り着きました。

おわりに

とまあここまで長い長い隔離生活と健康観察を乗り切り、想定されうるコロナの保有確率的には限りなくクリーンな身となり晴れて北京の土を踏んだわけですが、結局11月終わり頃から年末にかけてオミクロンが爆発しこれまで堅持してきたゼロコロナはあえなく撤廃、自分自身を含めた周囲もことごとく感染しました。年が明けて2−3月頃にはA型インフルが流行りだし、無事にこうして今感染し苦しめられているという具合です。

直近でも外国人の訪中ビザ全面再開の報せがあったように、ゼロコロナが終わり、移動やら何やらが自由になったのは素直に喜ばしいことですが、こんなに早く方針転換ができるのであれば、あの無意味に長い隔離の日々はなんのためのものだったんでしょうね。このスピード感は中国の良いところであると同時に悪いところでもあるような気がします。

隔離の日々を思い出しながら「あれも書きたいこれも書きたい!」と書いているうちに、想定以上に文字数が膨らんでしまいました。ダイジェスト的にとか言ってたのにね。書いてる途中、不思議と当時の生活がものすごく鮮明に蘇ってきて、なんだかまるで自分がまだ隔離施設にいるかのような気持ちになってきました。それではまた。

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