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豆腐怪談 52話:花手水

知り合いHさんの話。
「私は花手水とか、紫陽花をびっしり浮かべたものが苦手なんです」
紫陽花が咲く季節に彼女は語ってくれた。

それは紫陽花があちこちで咲いてきれいな時期だったという。
ある日Hさんは友人に誘われて紫陽花で有名な某寺へ、紫陽花の垣根を見に行くことになった。その寺の紫陽花の垣根は地元では有名で、幾度か地元ローカルテレビ番組で見たことはあった。

しかし、実際目にすると全く違うと言っていいほど、それは美しい光景だった。なにしろとても色鮮やかだった。
雨が上がった手前の紫陽花の垣根には日が差していた。紫陽花たちはのひとつひとつの花弁から雫を滴らし反射させてキラキラ輝いている。
遠くの坂では雨上がり直後の薄い霧が紫陽花たちをベールのように覆っている。薄く白いベールの下で紫陽花たちはかえって艶っぽさを増していた。

紫陽花垣根の写真を撮るHさんを友人はこれが最高なんだからと、手水舎まで連れて行ってくれた。
「花手水」というものらしい。Hさんは一目みるなり「わあ」と思わず声を上げた。
青、赤、青紫、赤紫、白、色とりどりの紫陽花の花が手水舎を埋めるように浮かんでいた。水に浸かり艶やかに濡れ、立体感を伴った紫陽花の花は手水舎を全く違うものに変え歓迎しているかのように見えたそうだ。
あまりにも美しくてここで手を清めるのはちょっとためらってしまうほどだった。

手を清め杓子の水を柄に流し戻そうとした時だ。Hさんは紫陽花と紫陽花の間に隙間を見つけた。
その隣では紫陽花が重なり、下の紫陽花が水に埋もれるようにほぼ沈みかけている。
上の紫陽花は本来隙間があった位置に浮かんでいたものだろう。Hさんは戻した方がいいかもしれないと上の紫陽花に手を触れた。

その時、右の手首と腕に何かが触れ、貼りついた。
「なんだろ?」と腕を上げて見たHさんは、思わずひっと声を上げた。

ヒトの長い髪の毛がべったりと貼りついていた。
髪の毛は紫陽花の隙間に繋がっていた。否、隙間と思ったものは紫陽花より小さくて黒い球体だった。

髪を払い落としたHさんの前で、黒い球体がくるりと回転する。
びちゃん、と水がはねる音がした。
それは目を閉じた女の子の頭だった。髪が顔にべったりと貼りつきそれが球体に見えたのだ。
女の子は目を開けた。Hさんに向かってにっこりと口角を上げ、無邪気な笑顔を浮かべた。

その口が開こうとした直前、Hさんは友人の手を取って逃げた。
「行こう!」
「えっ、ちょっと何?何なの?」
友人は何が起きたのか分からないようだったが、説明する間も惜しいほど一刻も早くここを離れたかった。女の子がこれから口にする言葉は絶対聞いてはいけない。Hさんは直感で悟ったからだ。
聞けば、名指しされ必ず悪いことが起きると。

それ以来、Hさんは水に浮かぶ紫陽花が苦手だ。

しかし、最近は紫陽花を水に浮かべるのが流行ってしまっている。最寄りの駅や職場では大きな鉢を用意して紫陽花を浮かべ始めた。
Hさんは時折、その浮かんだ紫陽花と紫陽花の間から誰かが見ている気がするという。

「ただの気にしすぎだといいんですけどね。でも、職場では掃除はしている筈なのに、紫陽花の鉢の前に長い髪の束がよく落ちているんですよ」

Hさんはいつか紫陽花の隙間から声が聞こえるんじゃないかと、今でもつい怯えてしまうという。

【終】


※豆腐怪談シリーズはTwitter上でアップしたものを訂正&一部加筆修正などをしたものです。

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