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「わたしのシャッター」は宝物だ

朝8時、となりで眠る娘に起こされる形で目が覚める。

眠たい目をこすりながら片手でツイッターを開く。タイムラインの一番上に表示されたのは、アジサイの花が水面一面に浮かぶ、いわゆる花手水の写真だった。

“きれいだ、どこの神社だろう” とハッシュタグを見て二度驚いた。ロケ地はなんと私の地元福岡の観光名所、太宰府天満宮だというのだ。

太宰府天満宮といえば、つい先週訪れているのだが、花手水の光景に見覚えが無い。見逃していたのだろうかと詳細を見ると、私が訪ねた2日後に用意された光景なのだそう。

撮りたい、その気持ちで一気に目が覚め、なにかに急かされるように顔を洗い、化粧をした。

私を起こす側だった娘も、珍しく寝起きがいい私に驚いたのか目を丸くしながらされるがままにおでかけ着に変身。カメラとレンズ、予備バッテリー、新品のSDカードをベビーカーに詰め込んで電車に飛び乗った。

電車の中から実母に「時間があれば太宰府で会わないか」と鼻息荒く電話をかける。そして、今日の今日で都合をつけて駆けつけてきてくれる実母。このフットワークの軽さが大好きだ。


新型コロナウイルスの影響で人が激減した太宰府天満宮の参道をのぼる。

しっかり前を向いて歩かないと誰かしらと肩がぶつかるほど混みあっていた参道がこんな風になるなんて、と、外出自粛要請解除後2度目の訪問でありながら、やはり視界に映る光景を頭が処理しきれないでいた。


娘や母の写真を撮りながら訪れた境内で、目の前に広がる花手水の光景は実に素晴らしいものだった。大きな神社だからこそ、普段はここで多くの訪問客が手を清めている。神社の規模が大きければ大きいほど手水は広いはずなのだ。

どう言い表したらいいだろうか、人の写真で見ていたので予習をしていた気になっていたのに、私の“肉眼レフ”では全く違う光景に見える。

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切り取り方で見える景色が異なることが写真の醍醐味でもあるため、ある意味当然のことではあるものの、目前の景色に感動を覚えると同時に、緊張感にも似たドキドキに、カメラを構える手に汗を握る。

“わたしはどういう風にシャッターを切ろうか”

幸い、人が少ない分シャッターはいかようにもなった。単焦点レンズはもちろん、魚眼レンズで遊びを加えつつ気が済むまで切り取る。

1枚1枚、集中しているはずが、私の悪いクセで気が付くといつも頭の中は「ああ写真が楽しい!」という感情で溢れている。

かつてバンドをやっていたときに、ライブの自分たちの出番を前にして「演奏は冷静と情熱の間で楽しむこと!」と教えられて育ったが、私の場合は気を抜くとだいたい情熱が勝る。ある程度冷静さを同伴させないとピントが遊んでしまうことも分かっているのに。


家まで帰るのを待ちきれなくて、喫茶店に入ってデータを見返す。笑ってしまうことに、カフェに居た他の4~5組の“カメラマン”たちも、食い入るように撮りたてほやほやの写真をそれぞれのカメラで確認していた。

これは私の推測に過ぎないが、皆おなじように外出自粛でたまりにたまったフラストレーションをここで発散させていたような気がする。


この写真もいい、いやこの1枚も素敵だ。なにより来てよかった。今日は良い1日だー…

誰と比較するわけでもなく、私の宝物をかみしめる。万が一SDカードになにかあったらと、目視で好きだと思ったデータをSDカードに搭載してあるWi-Fiでスマホのクラウドに飛ばすほどの入念さだ。(過去に二度ほど、撮影の帰り道にSDカード破損の黒歴史があるため)


ああ写真が楽しい。

上手かろうが下手かろうが、この際関係ないのだ。
いや、正確に言うと関係はあるが、楽しさに勝るものは無い。

当分は新型コロナウイルスに感染予防をしながらのチキンレースとなりそうだが、1枚でも多く美しい日本の風景を撮りたいと再認識した6月半ばの今日だった。

やっぱり外ロケはいいぞ!(笑)

2020/06/15 こさいたろ


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