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信じる力

僕のnoteでは、この記事がすごく多くの方に読んで頂きました。

この記事でも「信じる力」について書いてますが、実は、後付けのように思われそうですが、2009年2月にも「信じる力」についてブログに書いてました。前職時代の話です。
「信じる」というのは、僕の中では、すごく重要なテーマなんだなぁと、改めて思いました。

信じる、信じる、信じる、と言い続けてるのは、多分、自分に信じる力がないからなんでしょう。信じたいけど、信じれない。そういう葛藤がずっとあるのかもしれません。以下、2009年のブログから。

そういえば、昔、まだまだ会社が小さく、社員も少なく、大学のサークルノリでわいわいと会社ごっこをやっていた時代に、恩師から「信じる力」と書いた紙を貰った。

その紙は一時期まで、事務所に掲げられていた。どこかのノートの切れ端に書かれたものなので、傍からみたら、なんでこんなものをわざわざ壁に貼り付けてるのかと思う人もいたかもしれないが、ボクはけっこうこの言葉に励まされたものだ。

大切な紙なのに、何度かの引っ越しの際にどこかに失われてしまって悔やむばかりなのだが、「信じる力」という言葉自体は、ボクにとっては座右の銘みたいなものになっていて、ふとした折に思い返すようにしている。

その言葉をくれた恩師が、どのような意図を持ってその言葉を書いてくれたのかは分からない。とにかくやるだけのことをやって後は自分達の力を信じろ、スタッフの力を信じろということを言いたかったんではないかと僕は解釈してた。創業時からしばらくはほんと何度も危機的な状況があった。でも、これからもそういう状況には何度も直面していくから。そのことをその人は見越していてこういう言葉を贈ってくれたんじゃないかなと思う。

自分達を信じたり、社員を信じれなくなったら、それこそ、その時点で会社は終わる。それは今だからこそよくわかる。

過去のさまざまなビジネスの局面でも、最後はこの言葉にすがってなんとかなってきたという感じで、ボクにとってはおまじないみたいなものだ。もちろん、そのおまじないは、やれることを精一杯やって、という条件をクリアして初めて唱えられるものなのだが。なぜか、この言葉を唱えれば、前向きな気持ちになれるし、まだまだやれてないことや、最後の悪あがきもしてやろうという気にさせられる。

全然話が変わるが、x理論、y理論みたいなものがあって、マネジメントスタイルとしては、いまどき、x理論を基礎とするところもないだろうけれども、でも、よくよく考えてみると、時折、自分がx理論的なマネジメントスタイルをとってることに気づいて愕然とする。この局面では「アメとムチ」を使うほうがうまくいくんだと自分に言い聞かせて自分を正当化していたりするのだが、まぁなんと心の狭いことかと思う。

どんな局面でもy理論だとか、どんな人でもy理論だとか、そういうことでもなくて、x理論、y理論っていう両極端なマネジメントスタイルをどう使い分けるかってのが重要なんだろうけれど、でも出来ることならy理論で行きたいと思う。そういう信条を掲げたいものだと思う。

ってのと「信じる力」ってのは、なんとなく結びついている。あらゆることを信じること。その力がまず重要で、その力がないと、論理ではy理論が、と思ってても実際の言動がx理論的なものになってしまう。この言葉を座右の銘にしているなんていいながら、どうも実際のところ「信じて」ないんじゃないかと。

切羽詰ったり、厳しい状況のときに、都合よくx理論を持ち出すのではなく、そもそもy理論的な土壌を育てておくことと、そういう状況のときにこそ「信じ」ること。スタッフを信じること、会社を信じること。マネジメントに求められるのはそういうことなのかもしれないなと思う。でも、やれる限りのことは精一杯やる。最後まであがく。その上で「信じる」。

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