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牛丼屋にてバイト

〈2024/3/4の投稿を推敲して転載〉

牛丼屋でバイトをはじめて一カ月。
5年前の大学の頃も同じ牛丼屋でバイトしていたけど、その頃よりも時給にありがたみを感じられる。いよいよ25を過ぎて体調の変化も日々感じる。大学の頃はまかないの牛丼が三杯はいけたけど、今はお腹にくる。2年前からある慢性的な背中の張りも一時期ひどくなった。腎臓か肝臓あたりに痛みを感じ、おしっこも近くなり糖尿病かと思った。自分の体が5年前とはすっかり変わっていたのを実感する。ここ数年は自炊ばかりだったから、いかに外食が濃いかもわかった。添加物とかもろもろ気にしない、思考だ! とか思っていたけど、知った以上はどこかで気にしている。優しい食べ物はなにより体が嬉しそうだ。
背中の張りがひどくなった原因の一つは睡眠の変化があるかもしれない。僕が今シフトに入るのは人手が足りていない22〜9時で週6勤務が続いている。深夜の勤務だと子午流注図で言えば休まらない部分が出てくるらしいので、体調の変化には寝る時間も関係しているかと思った。

子午流注図

また、ブラックで有名だし労働環境もあるだろうけど、他には僕がお腹でこじらせていることも原因の一つだったと思う。現場はだいたい2、3人で回すけど、忙しい時に態度が厳しくなる方が3名ほどいて苦手だった。それに対し、思ったことを言えない。仕事だからだと割り切ることができない。僕は焦ると動きが鈍るが、高圧的な態度でこられるとさらに萎縮して使いものにならなくなる。
それは僕に能力がないからいけないのだけど、高圧的な態度は余裕の無さの裏返しでもある。大学の頃は納得いかないことによく反抗していた。最近はすっかり「俺ももう25やしなぁ」と、相手の態度のことでとやかく言うのは遠慮していた。しかも土地柄、学生が最もバイトの割合を占めているので、変に当たって自分の立場を悪くしたくない。だからマネージャーに相談して組み合わせの調整をお願いしたりもした。だけど僕が間接的に言ったことはいつの間にか漏れてうわさになり、逆に気まずい状況になった。こんなことになるなら、いつものように最初から直接言えば良かったと思った。だから本人たちに直接言って、裏で相談したことを謝罪したら、意外とあっさり忙しいときの態度に対する疑問について認めてくれた。本人たちもそれは自覚していて、どうやらそれが原因でクレームが来ることもあれば、新人が辞めてしまうことも人によってはあったらしい。むしろ自分が悪いと言う方もいて、みんな忙しいときはそれぞれの焦り方をするもんだなと思った。同僚に当たる人、お客さんに当たる人、僕のように動きがチグハグになる人。みんなそれぞれ頑張っている。店舗で一番歴が長い人もそういう態度の方ばかりになるのは嫌だと思っていたらしく、丁度良かったと言ってくれた。現場は慢性的な人手不足のため、僕は最初いろんな店舗に行ったけど、どこの店舗もそれぞれの雰囲気がある。そしてその雰囲気は人が作っている。忙しさに関係なく無言でテキパキ作業する傾向の店舗もあれば、普段はよく話すが忙しくなると態度が厳しくなる傾向の店舗もある。どれもいわゆる仕事のできるリーダー格の人に周りが合わせる形になっていて、その周りも自分の立場が悪くなることを恐れているために、さらに周囲に当たったり、それが繰り返されることでいつの間にか店舗ごとの普通ができていく。
ともあれ、こうして言いたいことも言えて人間関係にひと段落ついてからは、以前より背中の張りが楽になった。お腹で何をこじらせているかは、整体的に全身の緊張に影響するもんだと実感した一件だ。
書き忘れたけど、背中の張りがひどくて起床時に強い痛みを感じた時期は、背中が冷える環境で寝ていたのもあった。僕の住むアパートは六畳間のフローリングで、今は敷布団を一枚敷いて寝ている。壊れたエアコンを大家さんに言っても治してくれないので、冬はダウンを着て布団をかぶる。あんまり良くないけど、仕方ないと思っていた。でもそれもお腹のこじらせで悪化した背中の張りには大ダメージだったようだ。いつも暖かくしてある彼女の家にも頻繁にお世話になりつつ、今回の一件で体を冷やさない、そういう当たり前のことの大切さにも気づけた。最近は徐々に過ごしやすい気候になってきているので、背中の張りがマシになったのには気温も関係しているだろう。
布団は薄くていいと思っていたけど、冷えの観点からは厚みがあった方がいい。敷布団はフローリングの上に直接引くものではない。畳だから直接引いて寝れたのだなと、実家を振り返りながら思う。夏ならいいけど、次の冬はもう少し寝具に厚みを付けた方がいいだろう。
体を冷やさないことの大切さも実感しつつ、でもやっぱり根本的には僕の性格というか課題が背中の張りや体調に関係しているだろうと思う。深夜のバイトはその日一日で使った設備の清掃が主だが、僕がよく勤務する近隣の店舗は深夜でもかなり入客が多いため、落ち着いて作業を進められない。だから仕事の早いベテランの先輩は作業を全て網羅しつつも清掃はあっさり済ませていることが多い。割と歴が浅かったり、自分のペースで仕事をされる方は残業するか、時間内に終わっても清掃自体かなり抜いているようだ。忙しい店舗だし、バイトだけで回っているので仕方ないと思う。というかむしろ作業を網羅している方がいるのに驚きだった。すごいと思う。5年前は労働環境が今より良くなかったので、歴が長い方いわく昔の深夜は作業できなかったと言っていた。そう、そうなのだ。その割に昼の方に深夜は仕事してないと言われる。確かに、実際に仕事せず更衣室でずっと喋っているだけの方もいた。深夜の経験がなかった頃は昼の方と同じように深夜の仕事を舐めていた。昼が1時間あたり50とか60の入客が普通なのに対し、深夜は1時間あたり0のときもある。でも実際にやってみたら、これが終わらない。当時はサボるのが普通の方ばかりだったし、そういう店舗だったから、ただでさえ厨房は汚かった。僕は接客や盛り付けのクオリティーはほどほどだけど、性格上どうしても掃除だけは注力しがちだ。今もそうで、労働環境がマシになって昔より店を綺麗に保てていても、まだまだ行き届かない部分は多い。結局仕事が終わらず朝に来られる歴が長い人に要領が悪いと助言いただく形になる。確かにそうだなと思う反面、行き届いていないから時間がかかるんだよとも思う。あんまり残業すると、それはそれで注意を受けるので、この辺のバランス感覚はまだまだ拙い。本当ならベテランの先輩のようにほどほどに抑えるのがいいんだろうけど、誰かが問題意識を持って改善してくれたおかげで5年前より労働環境は良くなった。たかがいちバイトに過ぎなくても、何が問題か分かるなら言った方がいいだろう。さっそくマネジャーに話せる機会があったので文面で伝えてみた。ご検討いただければ幸いだ。
厨房の排水管などは、店舗によってはこのように汚れが溜まっている。

排水溝

流された油が徐々に排水管に蓄積する。おそらく年単位の汚れだ。それが原因でシンクの水が詰まることもある。この画像の場合、手が届く範囲は掃除できても、管の中も詰まっているため手遅れとわかった。共有したらマネジャーもメンテナンスが必要か否か検討してくれると。
自然環境なら油だろうがなんだろうが有機物は微生物が分解してくれたり大地が水を濾過してくれたりするが、人工の環境に自浄作用はない。だから清掃も人の手で行き届かせる必要がある。と、なんやかんやでやりがいも感じはじめているなか、では自分の背中の張りならびに体の硬直とここで挙げた仕事の例に何の関係があるのかというと、僕はあらゆることをやり過ぎる傾向がある。今の仕事振りも、所詮はバイトでも褒めていただけることがある一方、そこまでやらなくていいとも言われる。実際そこまでやらなくていいし、誰もやってない。最低限の仕事として言われていないことまでやろうとする。その結果、残業して注意される。汚いから掃除してるんだとも思うけど、それは僕がやらなければいけないことではない。でもやりたくてやっている。掃除が趣味なのかもしれない。やらなくていいことまでやろうとすることで、体は常にそれをこなそうと緊張している。だから硬直を生む。日常生活でもそうだ。考えなくていいことを考えたり、やっぱりやらなくていいことをやろうとしたりする。それで誰かの役に立って褒められたいのだろう。結局やりたくてやっている。今も同僚の学生に仕事が遅いと注意されるにも関わらず、結果やってしまう。頑固ジジイなのだろうか。そうかもしれない。頑固ジジイであることは僕は別に構わないけれど、それで体に硬直を作って常に背中が張ったりして、心地よく過ごせないことは楽しくない。気にしたことは体で時間を作る。硬直は時間を作る。そもそも、物質が存在しているということが空間に時間をもたらしている。では、いろいろなことをごちゃごちゃ考えたり気にしたりすればするほど、それは観念という見えない触れない物質として僕の体の各所で多くの時間を作っている。だから硬直として、背中の張りとしての症状が出ている。人によっては、もっと顕著な病気として表れてくるかもしれない。つまりは、それが老化ではないか。自分の姿を客観視すれば一目瞭然で、僕は25にしては40代のオヤジかというくらいに白髪が多い。それに背中の張りときた。明らかに同年代より老化している。もちろんそのおかげで得られた経験もある。僕は同年代に比べれば物が分かる方だと思っている。これは様々な考えなくていいことを考えたり、気にしなくていいことを気にしてきたために、体の各所でより多くの時間を作り、つまりはより多くの経験が蓄積されたためにそうなったということだ。だからこそ得られた今がある。それは否定できない。課題なのは、その塩梅だ。同年代の物分かりが良い人の中でも、老化していない人はいる。僕は加減を間違っているのだろう。もう少し脱力して、緊張を減らせればいい。その方が体感時間が軽くなるのに対し、仕事は早くなるはずだ。まだ体の各所で時間を作り過ぎていると思う。緊張が多ければ多いほど、時間が経つのが早くなる。どういうことかというと、体でたくさんの時間を作っているので、現実の時間は体内で作った体感時間の合計より早く過ぎていく。何もしていないときは時間の経過がゆっくりに感じられる。楽しいこととか、仕事に追われて忙しいときは現実時間が早く感じられる。これは刺激が多く、体の各所で時間を作るからではないか。筋肉を動かす一動作、その細胞の中で反応する物資などなど、その発生の度に時間も作られる。つまりその体感時間の合計がより多くなる体験は時間が早く感じられるし、より少ない体験は時間が遅く感じられるのだと思う。例えば初めて通る道もその経験から入る情報が普段より多いために体感 時間が重くなり、現実の時間の経過は早く感じられる。それも繰り返しで習慣になっていくと、認知的負荷の軽減により同じ距離の道でも体感時間は軽く、現実時間の経過は最初よりかは遅く感じられる。何度も通る道は、自分の足がすごく早くなるわけではないのでかかる時間は同じでも、最初通ったときより現実時間の経過がゆっくりになる気がする。でも、今日はダルいからこの坂道はキツイなとか、体調も日によるので条件によっても時間は伸び縮みする。仕事でもきっと同じで、初めての仕事は慣れないことも多く頭に入れるのに精一杯のため体感時間が重くなり、現実時間は早く過ぎる。でも慣れていけばいくほど体感時間は軽くなり、現実時間は伸びていく。
頭を広く使うというのも、体感時間を伸ばす方法にあるらしい。きっとこれも仕事中に得られた体感と同じことだと思う。仕事に追われていない、ほどよく脱力している、自分がやることに注視し、淡々と業務をこなす。そんなときは忙しくても「あれ? まだ少ししか経っていないな」となった。いつもはちゃんとやらないと、時間内に終わらせないとと常に気を張っている。そうして体内で作る時間が多いので、結果現実の時間が早く過ぎる。ちゃんとやろうと思わないくらいが自分には丁度いいのかもしれない。諦め。諦観をもってやる。ベテランの先輩にはそのイメージと近い面影がある。テキパキ動いているが、体に張りがない。がたいが大きい割に動きがスムーズなのだ。僕はキビキビしていると言ってもらえる一方で、焦らなくていいとよく言われる。ところどころチグハグに見えているのかもしれない。清掃はあくまで好きでやっているので地道に行き届かせていけば、日頃から細かなところを気にしたりする思考の無駄を少しづつ省いていけば、過度に力を入れなくて済むようになり、体で余計な時間を作らないようになれるかもしれない。しばらくの目標だ。
あと借金に関して。お金が欲しくて2年前は投資をやっていた時期もあるけど、ちょうど背中に張りを感じ始めた時期と一致することに思い当たった。その頃の僕に借金はなかったが、借家を背負うというようにお金の問題は自立神経および、特に背中に波及しやすいのではないかと思った。お金の話をもっと広く捉え直すと、それは将来のことに繋がる。以前整体にいって観ていただいたときに将来への焦りがあると言われたが、その見立てとも一致する。僕はあまりお金のかからない生活を目標にしているので、お金以外の例えば土地に根ざすとかによって生きることの安心感を得られないか、まだまだ模索中である。
当分は今の生活が続く。先月は1月の2週目からの勤務だったが17万の収入があった。この調子でいけば来月には借金を返済できる。今月入る給料も20万はかたい。バイトだけでもそれだけ稼げるなら、月収10万いかない頃の葛藤が馬鹿みたいに思える。最初からこうしていればよかったと思うが、去年のお金がなくて時間だけが有り余っていた時期は、それはそれで僕の中でとても意味深いものだった。今は借金返済、そして将来の貯蓄のために働くタイミングだ。なんやかんや書いてきたが、今もこれからも充実している。ある程度貯まったら動く。バイト先の牛丼屋はありがたいことにどこでもあるし、つぶれない限りは全国どこでも異動という形で働くことができる。仮に田舎に引っ越しても、畑を持ちながらバイトで生活費を稼ぐのは可能なはずだ。

頑張ろう。

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