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≪Vol.88≫「糧になる」って、あの話は迷信だ!

ちょっと乱暴なタイトルにしたのですが、
よく考えてみたら、いつもよく言われるあれって、、、
と思ったので自分の思いを書きたいと思います。

高校球児だった

僕は高校野球をやっていました。
もうかれこれ25年前くらいになってくるのですが、
そこそこ強い高校だったので、それなりに厳しい練習をしていました。

1年間のうち360日以上は練習や試合があったのではないかと思います。
記憶としては年に2~3日休みがあったような気がします。

朝練もやるし、
昼食後にグラウンド整備もするし、
夜は寝静まるような時間に帰宅する毎日です。

テレビやYouTubeで、
PL学園の練習は日本一過酷だ!!というのをやったりしていますが、
それと大きくは違わない程度の過酷さではないのかなと思います。

その時を思い出せば何でも乗り越えられる??

本題になるのですが、
「高校時代の過酷な練習を思い出せば、今後何でも乗り越えられる!」
というような話はあると思います。
自分もよくしていたような気がしますし、誰かにされたことがあるような気もします。

しかし、大人になって思うのは、
「高校時代のことを思えば、今の苦しみなんて・・・」って、
思ったことは一度もないなと思ったりしています。
苦しいときに、それを思い出すこともないというか・・・
(僕だけでしょうか・・・)

どちらかといえば、逆の話で、
「高校時代の練習をもっと、○○しておけばよかった」
「ピッチングをもっと考えて取り組めばよかった」など、
後悔にも似たような、過去の自分へのダメ出しの方が多かったりします。

ということで、僕にとっては、
「高校時代の苦しみを考えれば・・・」の話はウソだな
と思っているわけです。
だからそれを人に言うこともないような気もしています。

その時より成長しているんだ

さて、「あれはウソだ!」って文句を言いたいわけではなく、
あの時よりももっと成長したいと思って、今も頑張ったり、もがいたりしているな、と思っているわけです。
高校時代が一番大変ということではなく、
頑張っている度合いで言うと、日に日に増しているような気もしています。

だから、あの時の方が頑張っていた!
とはならないのかな、と思ったりもしています。
あの頃の自分にダメ出ししたい気持ちが持てるのも、それは今の方が成長しているからではないかと思います。

この話をあまり人としたことがないので、
僕の考えがどの程度一般的なのかよくわからないのですが、

PL学園出身のプロ野球選手も、
おもしろ話として、メディアで話しているとは思うのですが、
あの時の苦労があったから、今を乗り越えられる。
というような気持ちはないんじゃないかと思ったりします。
(勝手な想像です)

ただ、タイトルにはあのように乱暴に書いていますが、
「無駄ではなかった」と思いますし、自分でもわかってはいないのですが、精神的な支えとなるような経験をしてきたのではないかと思います。
(ネタとして使える、の方が現実的には多いような)

もし今、高校球児の自分に言うなら、
そのくらいのポテンシャルしかないのであれば、
アンダースローくらいにしておけばよかったな。と思ったりします。
プロには行けないだろうけど、甲子園へはもう少し近づけたかもしれない。なんて思ったりします。その頃はわからないですけどね。。

でも、こうやって高校野球の経験を書けることだけで、
自分にとってはかけがえのない経験だったことは間違いないと思います。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

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