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「親の心子知らず」を子供が考える

友人に「考えて書いているのか」「思いが溢れ出して書いているのか」どっち?と聞かれた。
おそらく後者だろう。これまで考える時間や向き合う時間を放棄してきた。でも今は向き合う大切さを実感している。
忘れないためにもnoteに書き記してるのだと思う。


「親の心子知らず」という言葉がある。
確かにそうだ。親の心なんか子供にはわからない。その逆も然り。
生きてきた時間が親の方であっても、親自身も親をするのは初めての経験。
子供が生まれたと同時に、親も子供同様、親0歳だ。

なんで親子について書きたくなったのか。
僕の友人の一部は知っていると思うが、僕には妄想上の家族がいる。
なんだこいつってなる人がおそらくほとんどだろう。
高校時代、子供が早く欲しすぎて、頭の中に2人の子供を作っていた。

最初は、単純に子供が好きだったからという理由だと思うが、成長して、家族からの愛情をもっと欲してた自分がいて、その気持ちを埋めるために妄想家族が出来上がったのではないかと考察自分もいる。

今はなんの問題もないが、少し前までは家族の仲はあまりよくなかった。
特に夫婦間。それに父親はあまり子供に接してこなかった。
さらに単身赴任ということが拍車をかけ、母親が1人で子育てする状態。
遠距離でも言葉やメッセージでサポートできていればよかったのだろうが、当時の父親にはそれは性格的に難しかったのかもしれない。
そのため、母親の精神的負担は相当なものだっただろうと思っている。

単身赴任+父親が子供と接してこないということがあって、男1人の僕は幼いながらに諦めて、1人遊びに特化した。
割り切っていたため、苦ではなかった。
だが、休みの日の公園は絶対に行かなかった。
息子と父親が遊んでる姿を見たくなかったから。自分には叶わないことだったから。

2年前くらいに過去最大級に家庭内が荒れ、我慢の限界を迎えた僕は、初めて両親に手をあげた。他のことで荒れていたというのもあると思うが、限界だった。
これまで言わなかったが、本当はこうして欲しかったんだ。
こんな家族に生まれてきたくなかったなど、親に対して言ってはならないことも口にした。
そんな一件もあり、家族内で対話を行い、今は改善されている。


妄想家族内では、自分が子供の頃して欲しかったこと、してほしくなかったことなどを意識している。
しかし、たまに思うのだ。
妄想上でも反抗期や家庭内での喧嘩は起こるものの、現実世界での子育てはもっと厳しいものだろうと。
ベビーシッターを仕事の合間にして、お母さん達と会話して感じることも含めるともっとだ。

自分自身が本当に親になった時、優しくすればいいのか厳しくすればいいのか実際良く分からないだろうし、勝手な決断に振り回されたりする
だろう。
でもそれでいいのだと思う。自分の子の成功も失敗も一緒に背負ってやるその覚悟さえあれば。

少し似たようなことは、親子以外にも他人にも言えることではないだろうか。
人は他人の痛みはわからない。親子、夫婦、友人...。
どんな間柄でもそれは同じだ
。
しかし他人の痛みはわからなくても、痛みは教えてくれる。
自分の側にその痛みを分かち合いたいと思ってくれる人がいることがその存在に気付かせてくれる。

親子の話ではなく、友人のところまで話が広がってしまったが、ぼんやり僕が考えていたこととしては、

その時素直になれなくてもいい。間違ってもいい。
最後に感謝と謝罪が言えればそれでいい。特に感謝の方に思いを込めて。
そこからまた再スタートを切ればいい。
それでいいじゃないか。
ゆっくり行こう。

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