就職を機に上京した俺が、適応障害になるまで


上京してから、早くも6ヶ月が経とうとしている。

学生時代までは地方で過ごしていた。
地方は地方なりの良さがある、そんなふうに周りに言っていた。しかし、それは本心ではなかった。心の中には、東京という大都会に対する憧れが常にこびりついて離れなかった。いつか東京に住んでデカいことをやってやる、そんな青臭い理想が常に心を支配していた。

大学4年になり、本格的に就職活動を開始した。俺は憧れを現実にすべく、東京にある企業に狙いを定めた。ESを出し、面接を受け続けた。それが実り、無事に東京のあるIT企業に内定をいただくことができた。東京で働くってどんな感じなんだろう。その時の俺は、まるで初めてディズニーランドに向かう少年のような気持ちでただただワクワクしていた。

そして3月、卒論をなんとか形にし無事卒業した。引っ越しを済ませれば、晴れて4月からは社会人になるのだ。やっと東京で働ける。当時の俺はその事実に胸を躍らせていた。

4月、入社式を終え正式に社会人となった。俺はIT企業に就職したが、大学時代は文系学部だった。周りに文系出身者も多くいたものの、本当にやっていけるのか、と不安はあった。そんな不安をかき消すために、朝早く起きて、その日のテキストを読み込んだ。そんなことをして、人よりも多くこなすことでなんとか研修に食らいついていた。

7月、研修も無事に終わり、現場へと配属された。俺が配属されたのは、いわくつきの現場だった。しかし、それを知ることになるのはだいぶ後のことだ。その時の俺は早く戦力になってやる、とただただ燃えていた。

それからは、毎日のように膨大な課題に追われた。ここでいう課題とは、実務に沿った模擬的な業務のことだ。研修とのあまりの難易度の差に驚愕した。

しかし、それ以上に俺を苦しめたのは、あまりの孤独感だ。先輩方はみな非常に忙しく、質問をしても返ってくることはほとんどなかった。みな、自分の業務で手いっぱいなのだ。俺は、テキストやGoogle検索を頼りになんとか業務を続けた。しかし、思うように進まない。進まない業務を前に、毎日毎日、虚無感を抱えながら家路に着いていた。

そして、決定的に俺を苦しめたのは相談できる相手がいないという事実だった。冒頭にも述べたように、俺は就職を機に上京した。東京にいる知り合いなんて、片手で数えるほどしかいない。配属先の関係から、同期ともほぼ顔を合わせることがなかった。毎日の課題に疲弊した心の内を吐き出せる場所なんてどこにもなかった。このことが少しずつ俺の身体を蝕んでいった。

ある日、それは急に訪れた。
仕事で疲弊して帰った俺はシャワーを浴びたあと、すぐにベッドに横になった。しかし、一向に眠れない。いつもなら10分以内に眠れるのに、その日は俺の意識が途切れることはなく、時計の針だけが進んでいく。眠れない日もあるだろう。そんなふうに自分に言い聞かせ、結局1時間ほどの睡眠で出社した。

次の日。昨日に増して疲労が溜まっていた。1時間しか寝ていないのだから当然である。しかし、この日も眠れることはなかった。

何かおかしい。その違和感は確信へと変わっていった。その時あたりから、食欲や感情の起伏などが徐々に薄れていくように感じていった。大好物が美味しくない。欠かさず見ていた大好きなドラマを見ることもなくなっていた。

それから数日後、あるツイートがふと目に留まった。それはメンタルヘルスに関するものだった。そのツイートには、不眠や食欲減退が続いている場合、それは鬱病や適応障害を示唆していると書かれていた。

自分が、そのような状態になっていることなんて信じたくなかった。しかし、あまりにも自分に当てはまっていた。

俺は覚悟を決めて、心療内科に向かった。ひと通り話し終えると、担当の医師は、俺が適応障害であると告げた。戦力になりたいと燃えていたはずなのに、どうしてこんなことになったのだろう。そんな気持ちでいっぱいになった。

しかし、これをきっかけに感じたことがある。人は1人では生きていけないということだ。地方にいるときはあまり感じたことはなかったが、孤独が持つ負の力は想像以上に大きかった。

地方にいるときは憧れだった東京のネオン街は、今の俺には眩しすぎる。あまりにも人が多すぎるこの街は、孤独感をより深めるのだ。

ここまでが現在にいたるまでの話だ。これからの話を少しすると、一旦休職しようと思う。自分のやりたいこと・すべきことを考える時間をとった後に、また成長していきたい。

 

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