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学校に行くことは当たり前、じゃなくていい。「不登校」わたしは才能の片鱗と見ます。

家庭を平和にし、
世界を平和にする。
「現代版あげまんのすゝめ」提唱家、
古川裕子です。


ここのところ、
コロナ第六波により
子供達と一緒に家で過ごすようになり、
久しぶりに専業ママモードです。

2019年、コロナ禍に入ってすぐの頃は
保育料が前年と比べて倍以上になったこともあり
次男の保育園を退所させて、

この1年は専業ママをやってみよう!
と、気合を入れ、専業ママをやってました。

コロナ禍で仕事が増えたのは専業主婦、
と言われていましたが、確かにその通りで。

でも結果的には
私にとってとても充実した1年だったし、
家事はともかくとして、

私はあれ以来、
ママ業をとても誇りに思うようになりました。


あの頃のような
「自粛」も「ステイホーム」も
もうイマドキではない感じになっていますが、

我が家的には
「自粛」でも「ステイホーム」も関係なく、

こんな時期だし、
行きたくないなら無理に行かなくても。

という感じで、
小学2年生の長男も
幼稚園年少児の次男も家にいます。

「コロナ不安による欠席」なら
欠席扱いにならないし
(なってもいいですが)

休んでも何も言われないし
この時期は気楽です。


長男は2021年11月から登校しなくなり、
いわゆる不登校です。

それでも学校生活を忘れない程度に
最近は週2回、3時間/日くらい登校していましたが

こんな時期は無理に頑張る必要もないので
お休みしています。

次男は幼稚園が嫌いなわけではないですが

「お兄ちゃんが休むなら僕も」

をずーーーっと言ってきてたので、
この機会にお休み。

結果的には
兄弟一緒に家の中で楽しそうに遊んでおり
こんな生活に慣れました。



以前は夏休みや、地味に長い春休みには
「早く学校始まってくれー!」
と思っていましたが、

こんな感じで
平日昼間にも子供達がいる生活にも
すっかり慣れました。



私自身が小学生3-4年の間、
不登校児だったのもありますが、

世の中に不登校と呼ばれる子が
こんなにも多くなり

コロナのお陰でオンライン授業の設備ができ、
コロナ不安で登校しないことが
認められるようになったこの時代に、

「学校に行くことは当たりまえ」とは
もう言わなくていいし
そう思わなくていいと思っています。

少なくとも私は、心の底から

「学校に行くことは当たり前ではないし、
行かないことも選択肢の一つ」

と考えています。


なので、
子供達が「休みたい」と言う日は、

それが本気なのか?
どういう状態なのか?

慎重に精査します。

本気で休みたい日に休めることは
子供にとって信頼と安心感に繋がりますし、
結果的に学校へ行くモチベーションに繋がります。

休みたいのに休ませてもらえない、
「行きたくない」が重症化してから休むと
長引くことになります。

心も身体も、早めの養生。
それは子供も大人も同じです。


幼稚園の子は
まだ小学生ほど勉強や集団のルールが強くあるわけではないので、

行きたくないと言っても
基本的には行かせるようにしています。

「ただ、毎日行ける」
それも大切なスキルだと思うからです。

コツコツ学校に行ける。
それも大切な才能やスキルだと思います。

あまり嫌がるようなら休ませますが
そういうときには
親の勘とは上手く働くもので、

やっぱり後で熱を出した、とか、
お腹をくだした、ということもあるので、
母親の勘をアテにしていいと
私は感じています。

そういうときは幼稚園に連絡するときも

「行きたがらないのと、
 この行きたがらなさは、
 何か体調にありそうなので休ませます」

と、その通り、普通に話しています。


長男は、幼稚園の間は
行き渋ることはありませんでした。

本当に手の掛からない良い子で
園内でも大活躍のヒーロータイプでした。

卒園近くのキリスト生誕劇でも、
男の子にとっては主役にあたるヨセフ役をやり、
さすが長男くん!と言われてきました。

小学生になり、
いよいよ「本当の自分」が出始め、
「勉強」が始まり、

幼稚園時代にやり残した
「甘える」をやりたくなって、
今不登校をしているのかな?とも思います。

そして、それを出してくれたのが、
まだ小2の今でよかった!とも思います。

いや、これが仮に
中学生になってから出たとしても、

「子供がまだ手元にいるうちに」
「親が子育てさせてもらえるうちに」

出てきたのなら、
それは有難いことだ思います。

一緒に乗り越えるチャンスですから。


長男に聞かれたことがあります。

「学校に行ってないと、僕頭悪くなっちゃう?」と。

私はこう答えました。

「頭の良さって、勉強のできる、できないじゃないのよ。

 むしろ、学校では教えてくれないこと、

 ・なんでこれはこうなんだろう?
 ・これはどうやったら上手く行くんだろう?

 そういう、なんで?どうして?を自分の頭で考えることで、人は賢くなるんだよ。
あなたは今、僕は何で学校に行けないんだろう?って、考えることあるでしょう?
そうやって考えること自体が賢いし、頭を良くしているんだよ。」


私は実際、そう思っています。

勉強は「した」か、「してないか」だけだし、

IQは高ければ高いなりに
人とのコミュニケーションに努力が必要になるし、

低ければ低いなりの学び方をすれば良いだけ。

人それぞれに持って選んできたスペックがあって、
自分に合った方法を選んでいく。

それって、誰しも同じことだと思います。

そのときに、
自分にフィットするものを、

選んだり考えたり実行していくチカラ、
それが「賢さ」だと思っています。

賢さはIQだけじゃ語れない。


やりたくないときにやる勉強は
「勉強嫌い」を産むだけだし、

やりたくないときに無理にやる必要はなく、
やらせる必要もないと思ってます。


勉強をする目的とか、
勉強をする楽しさとか、
勉強してこうなりたい!

そういうものか出て来てからやるのでも
どうにかなるだろうし、

時間的に回り道することがあっても
別に問題ないと思うんです。



なので、私にとって不登校は、
全くもって「問題」ではないです。

問題でもないし、
特別なことでもない。

なので昼間、普通に連れて出かけます。

次男の幼稚園の用事に連れて行ったり、
スーパーに買い物に行ったり。

そこで同級生のお母さんとバッタリ会うこともありますし、
興味を持ってくれて、
普段話す機会のなかった人が話しかけてくれることもあります。

では、私にとって長男の不登校は何か?
というと、

私にとっては、
「長男の天才性が露見した出来事」であり、

「私の天才性を世の中に発揮するキッカケになった出来事」です。


普通にやれない、
ストレートにいかない、

それって乗り越えたときに成功体験になりますし、

周りと同じじゃないということは
天才肌なのだと思っています。


次男に関しては
彼は数字に興味があり、
年少さんで一桁の足し算と九九が言えるので
普通に天才だと思っているのもあり、


私の子育ての目標は、

「彼らが天才性を発揮できるようにする」

ということです。


毎日の子供達との会話において、

どう答えたらこの子の才能発揮に役立つか?
そのための自主性を育む声掛けは?

そんなことを考えながら受け答えするので
トライアンドエラーがあり、面白いです。


今日は長男と買い物に行き、
その際に2つのお菓子で悩んだ彼が、

「お母さん、どっちがいいと思う?」
と聞いて来たんです。

私は反射的に

「こっちの方が値段の割にたくさん入ってるし
 どっちも美味しいからこっち(安くていっぱい入ってる方)がいいんじゃない?」

と普通の答えを言いましたが、

その後で

ちょっと待った!!!と思い、

「いや、そうだな、
 どっちもいいと思うんだけど、
あなたはどっちが食べたい?
 本当に食べたいのはどっち?

と、本人に選ばせ直しました。


長男はやさしくて
ついつい相手の顔色を見て合わせるクセもあるし、
何でも自分で決められるようになってもらたいので、

「自分はどうしたい?」

を問う練習を、意識してやっています。

すぐに結果が現れるわけではないですが、
このような視点で子供と関わると
トライアンドエラーがあって面白いです。


長男の不登校をキッカケに
私の考えを他者に話す機会も増え、

「お母さん(私)の考え方がいい!」と
学校の先生や
カウンセラーさん、
他のお母さんに言ってもらうこともあり、

私はいよいよ
自分の考えを世の中に出すタイミングだと
自分の人生を捉えるようになりました。

長男の不登校のお陰です。


反対に、私は不登校で悩む親御さんのことが
よくわからないので、

何か質問があれば
是非聞いてみたいと思っています。

そしてお母さんが悩む必要が無くなったなら、
それって家庭平和ですよね!

そんな風に貢献したいと思っています。

疑問、質問などあれば
タイミングは子育ての空き時間次第になりますが
可能な限りお答えしますので
是非コメントなどお寄せ頂きたいです。

そのうちお話会など企画できたらいいな!と
思っております。


お子様の不登校や、
一見トラブルと見えそうな事柄、

あなたなら、
どう人生に活かしていきますか?




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