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7月4日朝、私はあなたの不在を確認する

ゆうべ、アメリカに二十年以上暮らした女とイギリスに二十年以上暮らした女がしゃべっていた。

なぜ日本を出たかって?
あたしはほんとに散々な目に遭ったから。いいことなにもなかったから、このままここにいてもダメだと思ってイギリスに行ったんです。
あたしはね、もうそのころ自殺したいと思ってたのよ。日本にいたら自殺してたと思う。だからアメリカに行った。

ひとりは生きのびるために、
もうひとりは死なないために、
日本を飛び出したと。

ずっと日本に居つづけた自分はなぜ日本に居つづけたのか。
散々な目にあわず、自殺したいようなこともなかったから?
逃げ出したいと思ったものは確実にあったが、私はそこに半分だけ蓋をしてやり過ごした。

まるい世界に合わせるために役割を演じるには私は角張りすぎていた。
むりやりまるく成型して押し込もうとすると、ぱんとはじけて飛び出しそうになる。
そういうときはね、だましだまし押し込んでいけばいい。
はみ出しそうなところを、そっとこうして、やさしく押さえながらね。

そうしてどうにか生きのびたが、それがずっとつづくはずもないのだ。

もし飛び出さないで日本にずっと暮らしてたらどうなってたと思います?

うーん······· if で考えてもしかたなくないですか? だってあたしはいま現にこうしているわけだし。まあ、いまとは違った人間になってたでしょうけど。

いや、そうじゃないね、違わない。
え?

あなた、日本にいたって最終的には同じようなことしてたわよ。結婚して、離婚して、歳のうんと離れた男とまた一緒になって。そして、その男が日本に合わなくなって日本を飛び出すの。
で、あなたはとにかくどこかに文章を書く。

どこにいようが、あなたはそうしていた。

そこで、イギリスに暮らす女が笑う。

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I miss you.
私はあなたがいなくて淋しい。
英語の授業ではそう教わるけれど、その言葉を使ってるときの実感は少し違う。
だれかの不在を確認する、というかね。

きみはもうここにいないんだね、という確認。
エモーションに傾きすぎない状況把握。
その状況下に自分がいまいるという客観視。

さて、私はいったいなにをミスしているのか。
なにしろ私はいまこうしてここにおり、いまこうしてだれにも読まれない言葉を書いているわけで。

どこにいたって、あなたはそうしていた。

nature という、自分のなかにあるどうしようもないものに対して、ひとはこれほどまでに無力だという再確認。


そういう女たちがこの世に点在することを知った朝のやさしい雨音。




(伊藤比呂美、ブレイディみかこのオンラインイベントのあとで)

こんなに言葉が溢れているなかから、選んで、読んでくださってありがとうございます! 他の人たちにもおすすめしていただけると嬉しいなあ。