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「生きのびる」はBLMの送るメッセージ ストーリーに耳を傾ける

アメリカでは肌が黒いというだけで犯罪者扱いされる、アフリカ系アメリカ人は自国の中で疎外されている、と書いた黒人ジャーナリストの記事を読んだ。

それによると、黒人に対する差別はヨーロッパよりもアメリカのほうがはるかにひどいという。ロンドンで黒人が警官に撃たれて暴動が起きたとき、たまたま街を歩いていたこの記事の筆者は、逮捕されることも、ましてや命の危険を感じることもなかったけれど、これがアメリカならそうはいかなかっただろうと語っている。その話に私は、ジェイムズ・ボールドウィンというアメリカの作家のことを思い出した。

『ビール・ストリートの恋人たち』という映画が昨年日本で公開された。監督はバリー・ジェンキンス。アカデミー作品賞を取った『ムーンライト』の監督だ。どちらも映像の美しさが際立った印象的な映画だった。その『ビール・ストリートの恋人たち』の原作はジェイムズ・ボールドウィン(1924-1987年)の小説だ。彼はアフリカ系アメリカ人で、公民権運動家でもあった。そのボールドウィンを追ったドキュメンタリー映画、『私はあなたのニグロではない』(2016年)を私は2年前に地元のミニシアターで観たのだった。

『私はあなたのニグロではない』は、1960年代に公民権運動を率いて殺された黒人リーダー3人(キング牧師、マルコムX、メドガー・エヴァーズ)を回想するボールドウィンの考察と訴えを伝える映画だ。ミネアポリスの事件が起きたあと、私はこの映画のことをすぐに思い出し、アマゾンプライムでもう一度見直した。
この映画の話になると決まって思い出す場面がある。それをもう一度確認したくなったのだ。

それは公開対談のシーン、1960年代の映像だと思う。
対談者はボールドウィンと白人の大学教授。その脇には白人の司会者がいる。教授はボールドウィンの主張に不服なようで、自分が人種差別主義者ではないことを表明したいのか、「無学な白人よりも黒人の学者のほうに自分との共通点を多く感じる」と言い、ボールドウィンが肌の色にこだわる理由がわからないと言う。それとはまったく次元の違う問題だと前置きし、ボールドウィンが返した答えがこれだった。

「私が1948年にアメリカを去った理由はただひとつ。文筆活動をするにしてもアメリカでは常にアンテナを張って警戒していなくてはならないからです。うっかりしてると殺されるかもしれませんからね。怯えながらタイプライターには向かうことは困難です」

被害妄想ではない、警官の顔を見ればわかる、と彼は続ける。ボールドウィンは長らくパリで暮らした人だが、移住先のパリではアメリカで経験するような身の危険を感じたことがなかったと断言する。

そのときの射るような眼差し、さかんに動く手、冷静であると同時に熱のこもった口調には、抑えに抑えた怒りと苛立ちが感じられる。

いったいどれだけ説明すれば伝わるんだ——全身でそう訴えているように見える。

ところが白人ふたりに目をやると、ボールドウィンとは明らかに違う温度感でそこに座っている。教授は眉を上げ、何を大げさな、とでも言いたげな様子だ。片手を椅子の背に掛け、悠然と構えてボールドウィンの主張を聞いている。本人はそのつもりではないのかもしれないが、その態度には、格下と見なした者に恩情をかけるのが自分の役目とでも思っているかのような、いやらしささえ感じられる。白人司会者は滑稽といえなくもない戸惑い顔だ。日本語が理解できないまま日本にやって来て、日本人に日本語であれこれ質問されまくって困惑している外国人のような表情というか·······。

貧困、無学、犯罪、服役の繰り返し。場合によっては死。
奴隷制の時代からつづく人種差別が社会に組み込まれてしまっているアメリカでは、黒人に生まれ落ちると負のループに絡め取られてゆく。

数百年前、奴隷としてアフリカ大陸から無理やりアメリカに連れてこられたアフリカ人たちは、所有者の「財産」として、食器や書物や農耕用の家畜などと同様に扱われた。彼らは厳しい取締り規則で縛られていた。それを破ると、はりつけ、火あぶり、断食。かつてのアメリカには人間が人間をはりつけにしたり火あぶりにすることを法で定めた時代があったようだ〔『アメリカ黒人の歴史』本田創造著、岩波新書、pp37-38〕。時代が進んで19世紀に奴隷解放宣言が出され、1964年に人種差別を禁じる公民権法が制定されても、黒人が白人と同等に扱われるようにはならなかった。アメリカの人種差別は数百年かけても砕き割ることのできない巨大な一枚岩なのだろうか。

ボールドウィンの著作の中に「生きのびる(survive)」という言葉が出てくる。

 いま、きみは私たちに愛されているのだから生きのびねばならない。きみの子どもたちやそのまた子どもたちのために。
——『次は火だ』(ジェイムズ・ボールドウィン著)〔注1〕

公民権運動のさなかの1963年、ボールドウィンが14歳の甥にあてて書いた手紙形式のエッセイの中の一節だ。生きる、ではなく、生きのびる。生きのびるとは生き残ること。成長するにつれて目の前に仲間の遺体が積み上がってゆく、とボールドウィンは先の映画で語っている。黒人の友人知人がたくさん命を落としたのだろう。が、この「生きのびる」には、それだけに留まらない含みがあるようだ。

アフリカ系アメリカ人の女たちの話を聞き書きした本の序文に、「生きのびる」の意味をとても簡潔に説明している箇所がある。

わたしは黒人が「生きのびる」という言葉を使うときには、肉体的な生命の維持のことだけをいっているのではないと感じていた。「生きのびる」とは、人間らしさを、人間としての尊厳を手放さずに生き続けることを意味している。
——『塩を食う女たち』(藤本和子著、晶文社、文庫は岩波書店)より

生きのびる。
理不尽をものともせず私たちは命をつなぐ。私たちには人としての尊厳がある。
BLMも、1950〜1960年代の公民権運動も、「貶(おとし)められていると感じる孤独への主張。世界が自分を見る目への主張。おまえがいまそうなっているのは悪いことをしたからに違いないという裁きへの、ひとつの主張」〔注2〕だ。

私はこの「生きのびる」という一語にずっと引っかかってきた。
この言葉を口にするということは、生きのびることが脅かされている、あるいは許されていない社会に生きているからで、言われた側はそもそもそこに在ることを否定されている。

と同時に、じつは必要ともされている。マイノリティを貶めることによって自分たちの位置を確認し、身を守ろうとするマジョリティによって。

アメリカ独特の人種問題に、広い海を隔てた島国で暮らす肌の黄色い平たい顔の人間が嫌悪をおぼえる理由はそこなのだ。人の人に対する行為のなかでもとりわけ卑しいものを見せつけられると、こちらの心がどうしようもなくすさむ。それはもはや白とか黒とか黄色とかいった色分けを超えた反応だ。

浅く素早い反応で相手を否定し自分を守る行為は、なにもアメリカに限ったことではないだろう。

BLMは他者への想像力が私たちにあるのかどうかを問いかけているように思う。想像力とは他者を慮(おもんぱか)る力、他者を人として敬(うやま)う力だ。

どんな人間にもその人だけのストーリー(物語)がある。
その人自身が歩いてきた道のり、その人の両親や祖父母、そのまた親から受け継いできた長いストーリーが。

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他者を慮るとは、相手のストーリーに耳を傾けることではないだろうか。
特別なことなどしなくてもいい。ただ黙って、そばにいて、その人の語る物語や思いに耳をすますだけでいいのだ。そうやって相手を「知る」ことからすべてがはじまるように私は思う。

瞬間瞬間に見えるものだけを追い、浅くて速い反応を返す。その瞬間だけ、だれかを言い負かしたり、踏みつけたりすることで自分は正しいと満足する。けれど、その瞬間の前にも後にも道はつづいている。人はなにもその一点だけを生きているわけではない。相手のたどってきた道、あなたの知らないその経緯が、つまりその人のストーリーであるわけだが、そんなまどろこしいものは面倒だと顔をそむけ、見つめることも耳を傾けることも拒む人がいる。

人の話に耳を傾けない行為は、手や足は出さずとも、一種の暴力ではないかと私は思う。

未来に希望があるのかどうかを考えたとき、いまの私に思いつくのはひとつだけ。
どうか子どもたちがおはなし(物語)を愛し、おはなしに耳をすます大人に成長してくれますように。
そのためには心の中にしんと静かなスペースをもつ余裕を与えられなくては。
おはなしを語ってくれる人や、語ってくれる本がそばになくてはならないのだ。


〔注1〕〔注2〕『パトリックと本を読む』(ミシェル・クオ著、神田由布子訳、白水社)より。
この本(拙訳)はアフリカ系アメリカ人の生徒と台湾系アメリカ人の教師のふれ合いを綴ったエッセイです。アフリカ系とアジア系というマイノリティどうしの交流を描いたところがまず興味深いですが、アメリカ南部の極貧地域の子どもたちの暮らし、アメリカの司法制度や黒人の歴史にも触れていて、負のループから抜け出そうとしても抜け出せない底辺層の実態が伝わってきます。

こんなに言葉が溢れているなかから、選んで、読んでくださってありがとうございます! 他の人たちにもおすすめしていただけると嬉しいなあ。